機械のお国柄(後編)
(前回から続く)
大量生産の話がでたら次は大量生産の本家、アメリカについて語らないわけにはいかないだろう。なにせ第二次大戦中に主力空母「エセックス級」だけでも17隻も作るような国である(日本は正規空母“全部”で約13隻、雲竜型が戦争末期の時点で完成が曖昧だったので約がついてます)。もともと工業力があるとは言え、最初から量産することを前提に設計から生産施設まで用意しないとここまでの数にはならないはずだ。事実、戦時中もっとも経済統制が厳しかったのは他ならぬアメリカだと言う話さえある。つまり量産のために資材をどう配備するかを全て国がコントロールしたうえで、共通で使えるネジから弾丸の弾のサイズまで全ての規格を統一していったのである。すごいのは規格の統制だけではない、戦時中の国民生活の制限も意外なことにアメリカの方が厳しかったらしいのだ。例えば日本ではかなり後半まで熱海まで旅行などと言う事が(金銭などの問題はあっても)特に統制無く出来たのに対し、アメリカでは戦争に力を集中するためにそれ以外の産業や市民生活の統制がかなり前半から始まっているのである。(余談であるが、こうした製造工程の管理を行ったのがその後大統領となるハリー・トルーマンである)
さすがに国運がかかっていない普通の工業製品はここまで徹底してはいないものの、それでも以前ディスカバリーチャネルで放送されたジャンボジェットことBoeing 747シリーズの量産のプロセスなどを見ると、製造業が弱くなったと言われる今でもこうした巨大で複雑なものを量産させたらまだまだアメリカの生産能力は侮れないと実感するのである。
だがアメリカの作るものはみな大量生産を考えられていたかと言うと実のところそんな訳でも無いらしい。どうもアメリカと言う国は普通は大量生産に向くある意味おおざっぱな作りのものを作るくせに、いざ凝ったものを作らせると今度はドイツもかくやと言うコテコテのものを作ってしまうのである。具体的な例としてエクトラと言うカメラがある。これは戦中(1941年)にライカに対抗してコダックが作った超高級カメラであるが、まだライカですら当時は実装していなかった、レンズに合わせたフレームの切り替えはもちろん、フィルムバックの交換から視度調整機能まで搭載した、今のカメラも真っ青の超多機能・超高級カメラであった。もちろんこんなすごいカメラなのだから、さすがに量産出来るわけもなく、またたとえ量産できたところで現場ではこんなに沢山の機能はいらないからもっと安くて故障の少ないカメラを欲しがったと言う代物なのだ。
実はこうしたアメリカ製品の2面性は今でも残っている。少部数生産品は日頃あまり目にしないので気づかれないかもしれないが、コストがかかりすぎて注文が減らされたステルス戦闘機や、再利用でコストを下げるはずがあまりに大型かつ多機能で結局普通にロケットで打ち上げるのと大差ないコストになってしまったスペースシャトルなど、今でも、ついついいろんな機能をてんこ盛りにして結局、高く付いたり故障の元になると言うパターンは実はいろんな所に散見されるのである。
さて日本・ロシア(ソ連)・アメリカと続いたら次はいよいよドイツの話に触れなくてはいけないだろう。とはいえドイツ製品の逸話に関してはもうすでにあらゆる話がいろんな人によって書かれているので、今更書き足すことはほとんど無いのが正直なところだ。とはいえそれではあまりに不親切なので、すでにある逸話を紹介する形で触れたいと思う。
ところでドイツ製品といったらみなさんは何を思い浮かべるであろうか。カメラならライカ、車ならメルセデスベンツやポルシェ、それとも男性の方ならタイガー戦車だろうか。いずれにしてもすでに山のような逸話がそれらについて語られているが、どれも共通するのは恐ろしく高性能で堅牢かつ精密なイメージだろう。その反面タイガー戦車などではその見返りに複雑すぎて1台あたりのコストがとても高く付いたとか、動かすまでの整備がものすごく大変だったと言う話も、宮崎駿さんのエッセイなどで知っている人もいるかも知れない。精密かつ堅牢、一見相反するような特徴をドイツ製品はどうやって実現したのだろうか。これは構造を調べたり分解してみると判るのだが、この一見相反する特徴を兼ね備える事の出来た理由は、あらゆる事態を想定し、それを先回りして対策をしているからに他ならない。たとえば戦時中後半のドイツの主力戦車のパンサーであれば、自動消火装置から一部には赤外線暗視装置すら搭載していたのである。また現在の車などで言えば、最初から安全基準の敷居を高く設定しているというのもあるだろう。つまり求められる基準に対して余裕をみて110%くらいで作るのではなく、200%とか300%とかで作るのである。
当然こうした作り方だから、コストがかかるのはやむ終えない。しかし車のように事故を起こしたときに人命に関わるようなものの時に、そのマージンがものを言う訳である。
しかしこうした基準に対するマージンはともかく、前者のやり方は下手をするとむやみに複雑化し故障の元になる危険性がある。それを避けるには精度を上げるしか無いわけだが、精密すぎるのも考え物だ、たとえばアルパと言うスイス製のカメラはドイツ製以上にすごい代物で、無垢の木を削りだしたグリップ、コンマ何mmと言う単位で調整できるシフト機構など、さすが時計の国スイスだけあってまるで精密な高級時計の様な精度と仕上げなのだが、ちょっと考えてみて欲しい。相手が止まっているときならともかく、ちょっとでも動いているときにいちいちコンマ何mm単位で調整している暇があるだろうか。しかも、この機構は一気に動いてしまわないようにわざわざクランクを回して調整するようになっているのである。
その点、ドイツ製のライカなどは当然ながらよく動かす部分はちゃんと手でゴリゴリと動かせるようになっているようだが、実はこれは例外的なものらしい。もう一つの銘機コンタックスなどを見るとライカに対抗する為もあるのだろうが、布製のシャッターに高いテンションをかけて1/1250の縦走りシャッターと言う当時の技術では不可能と思えるシャッター速度を実現させている為、今ではシャッターが生きている個体を探すのが難しくなってしまっている。
こうしてみると何事もほどほどがちょうどいいようだが、そのほどほどを実現した日本製品が退屈に感じるのだから、難しいものである。
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