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July 31, 2005

浅草国際事情

 元々日本に来日する外国人観光客の50%近くが立ち寄ると言われている浅草だが、ここ数日は花火大会のせいでもあるまいがいつになく外国人観光客率が高まっているような気がする。
 先日、いつものように中国系夫婦がやっている美味しいが日本語があまり通じない店で夕食を食べてると、後ろの方で怪しい日本語同士のかみ合わない会話が聞こえてきたので振り返ると白人系の家族連れに店の人がメニューを説明しているらしい。途中気になって一言二言口をはさんだが、後は浅草の飲食店の定番どおり、ここも店の外側だが全て写真付きのメニューがあったので無事に注文は終わったようだ。
ところでどうも英語で話したときのリアクションが違うなと思っていたら、その家族は南米かスペインから来た人たちだったらしい。おかげで店の中では日本語・中国語・スペイン語が飛び交いすっかりどこの国か判らない状態で面白かった。それにしても浅草と言う街、一見ただの下町風でも多くの外国人観光客に鍛えられているせいか、ときどき見た目はほんとにどこにでもいそうなおばちゃんでもまったく物怖じせずに外国の人と話をしたり、ジェスチャーを混ぜながらちゃんと日本語でコミュニケーションをとっているから侮れない。こうしたところもこの街の凄いところである。

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July 30, 2005

隅田川花火大会

 この文章が掲載されている頃はいよいよ浅草名物「隅田川花火大会」の当日である。その数日前から街は山のような(私見だがこの日が浅草が一番混雑するのではないかと思っている)人に対応すべく、街は要塞化がちゃくしゃくと進められていた(笑)。
写真は上から順に。

TV_camera
前日からカメラの準備を進めるテレビ局。



transfer
交通のじゃまになるので駅前の自転車・バイクは全て移送される。



girded_gate
人が腰掛けたり、転落しないよう囲われる地下道の入り口。



beerbox
コンビニに山のように持ち込まれるビール!



cashiers
同じくコンビニで増強される仮設のレジ。

そんなわけで、私は逆に人だかりを恐れてこの日はお休みを決め込みゆっくりと休息を取る予定でいる。

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July 29, 2005

ロシアンエンディングとハリウッドエンディング

 最初資料を当たって書こうかと思っていたのだが、さすがに元ネタを忘れそうなので防備録代わりに書いておくことにする。

 映画などのエンディングもお国柄を感じると思ったことはないだろうか。
その思いを強くしたのはテレビアニメやその映画化でお馴染みの「フランダースの犬」が、ハリウッドで実写映画化されそのストーリーを知ったときである。ネタばれ承知で原作のエンディングを書いてしまうが、子供心に主人公ネロと愛犬パトラッシュの死に当時はひどくショックと理不尽さを覚えたものだ。とはいえいくら子供心にショックでも原作を改ざんして「ネロもパトラッシュも死ななかった事」にしてしまうのはまずいだろう。しかも嫌らしいことに上映国に合わせてしっかりハッピーエンド版とバットエンド版の2つが用意されているらしい。さらに皮肉なことに(私は見てないものの)このハッピーエンド版、ちゃんとエンディングに向けてきちんと構成されていてそれはそれで良い映画になっているらしいのが困ったところである。
この何が何でもハッピーエンドと言うのはヤンキーのノリなのか、「フランダースの犬」のように対象年齢が低い話ならまだ分かるものの、「ディープブルー」(今やっているドキュメンタリー映画ではなく、人工的に知能を強化された鮫によるパニックホラーものの方)や「トゥルー・ライズ」のエンディングともなると、思わず「おいおいそれでハッピーエンドはないだろう」と思わずつっこみを入れたくなってしまうのは私だけではないだろう。特に「ディープブルー」では主人公のいた海洋研究所は建物ごと全滅、ヒロインは死亡と散々たる幕切れなのにも関わらず、生き残った主人公のナイスガイと人の良さそうな黒人のコック2人で足を海にひたしてばしゃばしゃやりながら「今回はなかなかハードな戦いだった(意訳)」とにこやかに談笑する下りにいたってはここまでやられてしまうと逆に妙な爽快感を共感してしまうぐらいである。
 逆にロシアの映画を見るとどうも連中は悲劇が好きなようで、記憶にある数少ないロシア映画でハッピーエンディングで終わった話を見たことがない。なにせあの「チェブラーシュカ」でさえストーリーはともかく挿入される曲はどれももの悲しいメロディのものばかりと言うお国柄の国である。一見コメディー風な演出の「鬼戦車T-34」は第2次世界大戦下、ナチス・ドイツの収容所に捕らえられていたソ連軍捕虜たちが、標的用に使われるはずのソ連T−34戦車を奪取して脱走し、敵陣を突破すると言うストーリーで、前半は右往左往するドイツ兵を奪った戦車で蹴散らしながら脱走すると言う爽快な話で「おっ、珍しくロシアで痛快な話が」と思っていると最後のエンディングで衝撃を受けると言う罠がまっている。案外救いのないストーリーで有名なゲーム「DRAG-ON DRAGOON」あたりを持って行くと売れるのではないだろうかと思うくらいである。

 そういいつつも私も結構アイデンティティはロシア人に近いものがあるのかも知れない。少々ひねくれているせいかもしれないが、ゲーム「フロントミッション」や「ダブルキャスト」でわざわざバットエンディングを見に行ったのは内緒の話である。

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July 28, 2005

スペースシャトル「ディスカバリー」リフトオフ

122979main_launch 幸か不幸か台風の影響で早く帰ったので(いや仕事は終わってないのだが)、つらつらと思いつくことを書いてみたい。まずはさわりに共同通信の記事を引く。

米航空宇宙局(NASA)は米東部夏時間26日午前10時39分(日本時間同日午後11時39分)、日本人飛行士野口聡一さん(40)ら7人が搭乗するスペースシャトル「ディスカバリー」をフロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げた。  ディスカバリーは順調に飛行、約9分後に外部燃料タンクを切り離し、2003年2月のコロンビア空中分解事故から約2年半ぶりの打ち上げは成功した。  13日に異常を起こし、原因が特定されないままだった燃料残量センサーについてNASAは、燃料を注入した後も監視を続けたが、異常は生じなかった。  ディスカバリーは13日間飛行し、コロンビア事故後にNASAが全力を傾けた安全対策が有効かどうかを調べるのが最大の任務。有人活動をシャトルに頼る日本にとっても今後の宇宙開発の行方を左右する飛行だ。

 以前はあれほど輝いていたスペースシャトルだが、最近は老朽化や予想以上のコスト高などの問題が続出して、いつのまにかすっかりネガティブなニュースの方が多くなってしまった。とはいえ良くも悪くもこれだけニュースになってしかも他の多くの国に影響を与えたのはさすがNASAと言えるだろう。もちろん日本もその例外ではなく、HOPEを中心とした日本版スペースシャトル計画が押し進められたのだが、いまではだいぶトーンダウンしていつの間にか無人宇宙輸送システムHTVが中心になりつつある。しかし、このHTVも宇宙ステーションのドッキングシステムが世界標準と化したロシアのKursではなく、アメリカ独自の規格になっているなど今なおその呪縛から逃れたとは言い難いのが実情だ。「ふじプロジェクト」ではないが、ある程度自力でも有人宇宙システムを持たないと、このままではせっかく訓練した宇宙飛行士達の多くが宇宙にあがれないまま終わってしまうのではないだろうか。すでに国際宇宙ステーションの日本担当部分のモジュール「きぼう」も打ち上げ自体が危ぶまれている状況なのだ。

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July 27, 2005

ただいま台風通過中

typhoon1
 最近、異常気象なのか台風が沢山やってくるような気がする。しかもそのコースが本土横断コースというのだから困ったものだ。少し前まで7〜8月は大陸側に高気圧が張り出すので本土を避けるようなコースを取るというのが定説だったのだが、最近ではそんな話はとんと聞かなくなってしまった。やはり地球温暖化のせいなのだろうか。
 台風と言うと子供の頃はなぜか台風が来るとうきうきしていたのを覚えている。よせばいいのに大雨の中をわざわざ出かけてびしょびしょになっては親に怒られたり、せっかく締め切っているのに雨戸を開けて外の様子をうかがって雨が吹き込んでまた親に怒られたりしたものだが、いつからかすっかり台風がおっくうになってしまった。それでも少し前までは根が成長していないのか、カメラを片手にシャッターチャンスをうかがって街に繰り出したり、通勤途中をスナップしたりしていたものだが、カメラがデジタル化してさらに雨に弱くなったせいもあって最近はそれもやらなくなってしまった。こうして人はだんだん無感動になり大人になっていくのだろう。
 なんの因果か、今度の台風はちょうど今の仕事の締め切りと重なっている。リアルワールドばかりではなく、デジタルな仕事の世界でも台風と戦う羽目になりそうである。

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July 26, 2005

個人で衛星を打ち上げる日

2005061077fc5949(写真はVolnaロケット)
 長年考えている妄想ネタ。それは自分の為の人工衛星を打ち上げると言うことである。理想的なプランはあさりよしとお氏の漫画なつのロケットのような自家製ロケットが理想であるが、この際そんな贅沢は止めておこう(単に作り上げる能力のなさもあるが)。今ではロシアが超格安で衛星打ち上げサービスを行っているのでそれを利用するのである。
 何故ロシアが超格安で衛星打ち上げサービスが出来るのかと言うと、実は米露のSTART-l(戦略核戦力削減条約)とSTART-ll条約により削減されたICBM及びSLBM(潜水艦発射式弾道ミサイル)を削減しなくてはいけないものの、解体するのも保持し続けるのもお金がかかるのでいっそ人工衛星打ち上げに使って元をとってやれ(とはいえ製造費は原価割れだが)と言う事情による。
 使用されるロケット(ミサイル)は2種類。R-29R(NATOコード SS-N-18 Stingray、別名RSM-50 volna)潜水艦発射型ミサイルを元にしたVolnaロケットとUR-100N(NATOコード SS-19 Stiletto)を元にしたRockotで、それぞれの打ち上げ能力は以下の通りである。
・Volna:低軌道打ち上げ能力 130kg
・Rockot:低軌道打ち上げ能力 1.4t
肝心の打ち上げ費用であるが、Volnaが$300,000 から$500,000、Rockotが日本円にして2億円前後とされている。
 こうしてみるとVolnaロケットの安さが際だつが実はこれには裏がある。過去の打ち上げ実績を下に記すがごらんの通り散々たる有様なのだ。

1995年 6月 suborbital  ドイツの実験モジュール    成功 世界初の打上げ
1997年10月 suborbital  リエントリ・ミッション       成功
1998年 7月 orbital    ベルリン大学の小型2衛星   成功 衛星は世界初
2001年 7月 suborbital  Cosmos1展開試験+IRDT1  失敗
2002年 7月 suborbital  IRDT2              失敗
2005年 6月 orbital    Cosmos1             失敗
 IRDT は、Inflatable Re-Entry and Descent Technologyの略

それとRoketのメリットは他にもある。それは1.2tの重量すべてを使い切るのではなく、その一部を間借りすることで安くすますというものである。実はここが元ICBMの良いところ(?)で、元々複数の核弾頭を発射する構造をそのまま利用することで、弾頭部は6分割して使えるようになっているのだ。しかもその1/6のスペースさえ上手く共同利用者が見つかれば分割することが可能で事実、東大と東工大が進めていた10cm角の超小型衛星「CubeSat」は他の研究機関が作った衛星に間借りする形で打ち上げられ、その費用は300万円ほどで済んだらしい。

 どうだろう、これくらいならいっちょ打ち上げたれと言う気にならないだろうか。近い将来に研究機関などでなくどこかの好事家が衛星を打ち上げる日が来るのも近いのではないだろうか。

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July 25, 2005

君はアウトサイダーアートを知っているか?

 雑誌「Pen」だったと思うが、唐突に見開きでアウトサイダーアートを特集をしているのを見つけた。美術雑誌以外にもアウトサイダーアートが取り上げられるようになったのかと言う感慨と、そのなんのバックボーンどころか十分な説明すらない扱いに、きっとこれも一時期のブームのネタとして消費するつもりなのだろうかと言う残念な思いを感じたものだった。

 アウトサイダーアートとはもともとフランスの画家ジャン・デュビュッフェがつくったフランス語「アール・ブリュット(Art Brut)」を、イギリスの著述家ロジャー・カーディナルが英語に置き換えたものである。その定義はデュビュッフェらが中心となって1949年に開催した「文化的芸術よりも、生(き)の芸術を」のパンフレットによると以下のようになっている。

 ・背景:過去に芸術家としての訓練を受けていないこと。
 ・創作動機:芸術家としての名声を得ることでなく、あくまでも自発的であること。 (他者への公開を目的としなければ、さらに望ましい) 
 ・創作手法:創作の過程で、過去や現在における芸術のモードに影響を受けていないこと。

今ではどちらかと言うと知的障害者の書いたアートと見られているアウトサイダーアートであるが、その定義は別に知的障害者に限定されたものではないのだ。
 こうしたアウトサイダーアーティストは日本では「山下清」、外国では「ヘンリー・ダーガー」などがよく知られている。

 私がアウトサイダーアートに引かれたのはその独自の世界観もあるが、なによりその偏執的とも言える作品作りにかける姿勢と、それとは対照的な報われない生涯にある。それは私を含めて、美大などに行ったたいていの学生達がとりあえず食っていくためにどこかで現実に折り合いをつけて食べていくための作品作りをしていくのに対して、なんの見返りも求めずにただ作品を作り続ける姿に憧れと絶望を感じるからなのかもしれない。
たとえば今では世界有数のギャラリーでも取り上げられるようになったヘンリー・ダーガーの生前は以下のようなものであったという。少し長いが柳下毅一郎氏のダーガー紹介文とマリア・ガルシア氏のサイト「幻想画廊」の紹介文を引用しよう。

ダーガーは誰にとっても「無害な老人」だった。ほとんど誰とも口をきかず、もちろん友人など一人も居なかった。だから死後、その部屋を見た人たちは大いに驚くことになる。部屋からは15巻15000ページからなる長大な小説(異世界での戦争年代記であり一説では世界最長のファンタジー小説)と、長さ3メートルの絵巻物数十枚を綴じた3冊の画集が発見されたのだ。 小説もだが、それ以上に注目されたのが絵である。そこに描かれていたのは花畑で戯れる裸の少女たちと、彼女らを襲い残虐な拷問にかける悪鬼のような兵士たちの姿だった。少女たちの股間にはペニスが生えていた。(たぶんダーガーは女性器を見たことがなかったのだろう)彼女たちは首を吊られ、手足を切断され、腹を裂かれはらわたを引きずり出される。これが妙に牧歌的な風景の中で繰りひろげられているのが逆に恐怖感を煽り立てる。「無害な老人」の中に隠れていた闇の深さに誰もが息を飲んだ。(中略)その手際の鮮やかさと幼稚さを突き抜けたような奇想ととてつもない執念によってダーガーは商業芸術家には絶対にたどりつけない境地に屹立するのだ。

シカゴの片隅の小さなアパートで毎夜、身も凍るような大戦争が行われていたと言ったら、あなたはきっと驚かれるでしょう。グランデリニア国とアビエニア国との奴隷制を巡る戦いです。60年以上もの間、この大戦争を目撃しつづけたのはたった一人の男性でした。
彼の名はヘンリー・ダーガー。シカゴの病院の清掃人兼皿洗いの仕事を、50年以上続けました。友達もおらず、身よりもない孤独な老人ダーガーは、1973年にひっそりと息を引き取りました。彼の死後、雑然とした部屋の中から驚くべき品々が発見されました。
(中略)
少女性愛を感じさせる作品ですが、ダーガーは決して少女を手にかけることはありませんでした。敬虔なキリスト教徒であった彼は、物語の殺戮を目撃しながら「神はなぜこのような非道をお許しになるのか!」と叫び続けました。物語の中での彼は、さえない掃除人ではなく、勇敢に戦況を書くジャーナリスト、優秀なカトリック軍のスパイ、そして子供達の味方でした。
妄想の王国に生きた孤高の天才アーティスト、ヘンリー・ダーガー、彼の墓には「子供達を守り続けた芸術家」という銘が刻まれています。

しかも皮肉なことにこれでもダーガーは恵まれた方だというのである。光文社新書のアウトサイダー・アートによるとたまたま大家が有名な写真家だったダーガーのような「発見者」に見つかることもなく、作品の大半がゴミとして捨てられてあとからわずかに残された作品からしか知ることの出来ない作家達は沢山いたというのである(そしてきっと誰にも知られないまま消え去っていくものはさらに沢山いるのだろう)。
 ものを作ったり絵を描いたりするのに疲れたときに、なんの見返りも求めずに作品を作り続けた彼ら(彼女ら)のことを羨ましくかつ悲しく思うのである。

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July 24, 2005

昨日の地震

crowded_sinjuku
 今日は運悪く出かけた先で地震に遭って疲れたので軽い日記のような話にとどめたい。
写真は大混雑の新宿駅。ごらんの通り警察が出て人を整理している状況で、中央線快速のホームは人が多すぎてホームに入りきらない為、交通制限がかかっている有様だった。しかもこれでも夜の10:00過ぎというから恐れ入る。なお交通整理をしている警察官は実はこのためにわざわざ来たのではなく、ロンドンのテロを受けて新宿などの主要な駅で警備をしていた方々である。今朝の時点では一段高い台のようなものを置いて、混雑する駅構内の雑踏の警備をしていたのを見かけたが、当人たちも含めまさか早速活躍する羽目になるとは思ってもいなかったに違いない。
 それにしてもこの時間でこの有様では、夕方あたりはいったいどんな有様だったのであろうか。
まあ、そんなわけで今日は仕事先に出たのが運の尽きで、地震当初は窓から道路を見ても人も車も何事も無いかのように流れていたのでタカをくくっていたのだが、まさかこんなにひどい有様になっているとはおもわなかった。おかげで家に着いたのは12時近く、しかもよせばいいのに久しぶりに鯵なんぞ捌いていたものだから夕食が終わったのは夜中の1:00近くと言う有様である(余談だが、いろいろ料理などする自分でも魚を捌くのはいつまでたっても苦手である。たまに男でも釣りをする人などが実に上手に魚を捌いたするのを見ると本当に尊敬してしまう)。
 そんなわけで今日は疲れたのでこれでおしまい!

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July 23, 2005

巨大建築VS宇宙戦艦

 題名だけ読むとなんのこっちゃと思うかも知れないが、実は単なる大きさ比べの話。
以前見つけた、様々な宇宙船の大きさを比較しているweb (STARSHIP DIMENSIONS)(主にスターウォーズとスタートレック、そしてマクロスが多い)に加えて、こんどは実在の(計画だけのものも含む)建築の大きさを比較しているweb(skyscraperpage.com)を見つけたので、これらを組み合わせるとアニメや映画で出てきた宇宙船がどのくらいの大きさか実感できると言う訳だ。
 興味深いのは、こうした空想の宇宙船の大きさよりも建築物の方で、いわば何でもありの想像の宇宙船に匹敵する非常識な建築物が大まじめに造られたり、計画されたりしていることだ。
 個人的に特にすごいと思ったのはモスクワのヴォルホンカ通りに作られる予定だった幻の「ソビエト大宮殿」のプランで高さ495m、てっぺんに置かれるはずだったレーニン像だけでも80mもあり、キングコング(18m)やガンダム(18m)、コンバトラーV(57m)も足元にも及ばない立像(さすがに動かないが)になるはずであった。驚くのはこの計画、単なるプランで終わらずに建設まで取りかかっていた事である。とはいえあまりのでかさに様々な問題が続出して結局中断、解体されてしまうのがソ連らしいとも言える。

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July 22, 2005

暑い夏とウォーターベッド

 最近、仕事が忙しいせいなのかそれとも単に暑くて寝苦しいせいなのか、とにかく疲れてたまらない。そのくせいざ寝ようとするとなかなか寝付けないから困ったものだ。
 それで自分なりに原因を考えてみたのだが、まずなんといっても蒸し暑いのがあるだろう。特に私はエアコンが嫌いなせいもあってエアコン無しで寝ているのでなおさら夏の暑さはこたえるのだ。とはいえこれはエアコンを使っている人も同じらしく、男らしく夏に家にいるときは寝てるときも含め常時エアコンは「強」と言う猛者を除き、大抵の人は「寝てるときにエアコンがタイマーで切れるようにしておくと起きちゃうんだよね」とこぼしているので、万人共通の悩みらしい。かと言って夜中もエアコンをつけっぱなしにして風邪を引いたり体調を壊したりする話も聞くし、悩ましい所である。
 実は暑さに関しては究極の解決方法がある。ただし究極とあるように万人に勧められるようなものでもないし、また出来るものでもない。それは涼しいところに引っ越すと言う手段であるが、これはさすがに無理だとしても、2番目の究極の方法、ウォーターベッドを購入すると言う手は取れる人もいるかも知れない。実は、暑さに耐えかねてと言うわけではないが以前、インテリア関係の仕事をして扱った事もある関係で、ウォーターベットに関しては真剣に購入を考えたことがある。なぜこれが寝苦しさの究極の解決方法かと言うと、ウォーターベットの最大の利点の1つが水の比熱を利用した「夏涼しく、冬暖かい」ことだからである。お風呂の水を思い浮かべてみれば判ると思うが、水はたくさんあるとなかなか暖まりにくくそしてさめにくい。特に工夫をしていないお風呂のお湯でさえそうなのだから、保温のためにさまざまな工夫を凝らしたウォーターベットの保温性はすばらしく、冬場でさえ一度ヒーターを入れて規定温度になってしまえば、数日はヒーターを入れずともぬくぬくと暖かいものなのだ。当然、夏場はその逆になるのは言うまでもなく、よほどの猛暑が連日続いてもまるで地下室の中のようにひんやりしたままなのである。(逆に涼しい方がいいからと夏にヒーターを切ってしまうと風邪を引いてしまうくらいである)(追記:本当に暑くてベット内の水温が上がってしまうと地獄のようです)
 そんな訳で少なくとも冬の寒さと夏の寝苦しさに関しては、究極とも言えるウォーターベッドであるが、私が購入しなかったのはもちろんそれなりの訳がある。まあ、値段が高かったと言うのが最大の要因だが、他にも重量がすさまじく重く(以前よりはましになったものの確実に100kgは越える)そのせいもあって一度セットした後はおいそれと動かすことも出来ないからである。築ウン十年の古い一軒家に住む自分にとってこうしたものを置くことは、たとえ地震がこなかろうとまさに自殺行為ものなのだ。
 とはいえ、今のマットレスは人からもらったものをさらに10年以上使っているせいもあって、今や腰回りのスプリングがかなり怪しくなっている。さすがにそろそろ買い換えなければとは思っているのだが、古いマットレスを捨てる手間や寝室に運ぶ手間を考えるだけでもおっくうなうえに、良さそうなものはどれも一長一短でいいものが決められないのが現状である。

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July 21, 2005

その後のラジオ講座(英語編)

 以前今年の4月からNHKラジオ講座の時間割が変わり聞けなくなってしまったと言う話を書いたがその後日談。結論から書いてしまうと、結局英語講座の方は聞かなくなってしまった代わりに同じ時間にやっている「シニアのためのものしり英語塾」を何となくつけて、それ以外はFENを流している(ほんとに流しているだけ)と言うのが現状だ。
 そんなわけでほとんどラジオをつけてるだけと言う状態になってしまい、勉強としてはかなりお寒い状況になってしまったが、それでも時々はそれなりの発見があるのがせめてもの救いだろう。特にFENを聞いて面白かったのは、向こうの関心と発音がダイレクトに伝わってくることだ。例えばこの前のマイケルジャクソンの判決が出るまでは、ほとんど毎日マイケルの話をやっていて「ああ、この芸能ゴシップネタ好きは日本だけでは無かったのか」と思ったり、仮にも在日米軍向けの放送でありながら日本のニュースは驚くほど流れない事に驚いたり(いや、どうせそんなもんだとも思ったが)したものだ。またヒアリングは未だにはなはだ怪しいものの英語か米語か区別できるようになったりしたのも収穫の一つである。特にこの前のロンドンのテロでは同じ英語圏と言うこともあり、向こうのアナウンサーの台詞はそのまま放送されることも多いので、(これもある意味日本人には新鮮な感覚だろう。他の国が自分と同じ言葉を使っていると言う状況は理屈では分かるものの、実感出来ないものだからだ)余計に発音の違いを比較する機会が多かったせいもあるだろう。
 横着な願いと分かってはいるものの、願わくばこれでヒアリング能力も自然に高まってくれないものかと思っている。

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July 20, 2005

ビールのつまみの話

 根が食いしん坊のせいだろうか、どうも私は酒の種類にかかわらずつまみが欠かせない質らしい。それが(お酒だけ飲むよりは)アル中や夏ばての予防にはなっているのだろうが、その代わりウエスト周りが心配な今日この頃である。そんなわけでビールのつまみもなるべく楽に作れて太らないものをいろいろチョイスするようになってしまった。特に私の場合、ビール一辺倒と言う訳でないので、他にも日本酒・ウオッカなどあらゆる酒に対応できる懐の広いつまみが望ましいのだ。
 そんなうるさいリクエストで今のところポイントが高いのがピクルス(それも瓶詰めのでっかい向こうのキュウリが入っているもの)とチーズである(チーズは太りそうだが)。この2つさすがは広くヨーロッパ諸国でつまみやおかずとして食べられているだけあって、捜してみると結構美味しい掘り出し物が見つかるのである。またピクルスは種類を選べば漬け物風のものもあり、以外に日本酒にもあいそうなものがあるし、チーズもミモレットのようにまるでからすみのような味わいで日本酒のつまみといっても遜色ないものがある。世界各地の発酵食品を食べたことのある小泉武夫氏によると、こうした食の類似性は結構多いそうで、他にも全く違う国の発酵食品同士に不思議な類似性が見られるケースは多いらしい。そういえばロビオラと言うチーズなどは日本人にとっては豆腐と言っても通用する味わいで、現地に行った人が思わず醤油が欲しくなったと言う話があったのをおもいだした。やはり原料は違えど、酒飲みが好む発酵食品の嗜好は人類共通なのだろう。
 このほかにビールにしか合わないのが難点だが、最近はドイツの有名なキャベツの漬け物「ザワークラフト」の瓶詰めなども結構気に入っている。なによりもビールにあうと言うのが最大の理由だが、実は日頃の野菜不足を解消しかつ太らないのではと言うのが本当の理由だったりする。

参考Link:人はこうして美味の食を手に入れた
上に上げた東京農業大の小泉武夫氏の本。猛毒をもつ魚や捨てていた鳥の内臓までも微生物の力を借りて美味に変える人類の英知と、様々な世界の発酵食品を紹介した本。なれない人には強烈な悪臭に感じるこうした食品だが、この本を読むとつい食べてみたくなる。

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July 19, 2005

ネーミングセンスにお国柄を見る

 ロシア語を勉強して気づいたことの一つに、ロシアのネーミングセンスのベタさがある。どういう事かというと、軍用兵器・人工衛星・時計に限らず実にひねりのない名前をそのまま付けるのである。例えば国際宇宙ステーション(ISS)が上がる前、旧ソ連が誇っていた宇宙ステーション「ミール」(ロシア語ではМир)はまんまロシア語で「平和」と言う意味の言葉だし、歴代の惑星探査機も日本語でいうと「火星○号」、「金星○号」と言うネーミングだったりする。不思議なのは機密保持のせいなのかも知れないが、軍用兵器に関してはこうした名称はいっさい用いず、Mig(ミグ)やSu(スホーイ)などの開発局のコード+開発番号のような素っ気ない名前だったりすることだ(ちなみにフランカーなどの通称は西側が分類のためにつけた名称でロシア側でつけたものではない)。それなのにそこで使われているアビオニクスや装置などには名称があるのが面白い。ちなみにISSとの連絡に使われているロシアの宇宙船Soyuzに使われているドッキング装置の名前はКурс、日本名で「コース」の意味である(注:裏は取っていないので間違いがある可能性あり)。他にも軍用兵器のレーダーや火器管制装置にもそれぞれ名称があるそうだが、残念ながらそれらについては良く判らない。きっとこうしたネーミングセンスを見ると、もしかしたらこうした装置の名前も「花」とか「空」とか一般名詞だったりするに違いない。それもちょっと面白い感じがする。それでもこうした名前がかっこよく聞こえてしまうのは(私だけか)外国語だと言うこともあるだろうが、音の響きの違いもあるのだろう。ただ日本語でも人工衛星や惑星探査機の名前は「ひまわり」「きく」「のぞみ」などそのままの言葉が使われているし、新幹線や特急電車の名前などでは「ひかり」「つばめ」などが使われてなじんでいる所を見るとようは選ぶ言葉の響きの問題なのかも知れない。
(個人的には戦前の軍用兵器のような「大和」「隼」「雷電」のような日頃はあまり使わないが響きのいい言葉も好きなのだが、今の時代にはなじまないのだろう)
 ところでべたな名前で思い出したが、アメリカのネーミングセンスもべたなセンスで言えば相当なものなのを思い出した。アメリカのネーミングセンスで実にアメリカらしいなあと思うのは、選ぶ単語がこっぱずかしいと言うか自信満々というか、実に大げさな名前がよく使われることである。その中でも私が一番すごいと思うのは、戦略核ミサイルの名前に"Peace keeper"(平和を維持するものと言ったところだろうか)とつけてしまうそのセンスである。日本人の感性だとさすがにこれじゃあ悪趣味だろうと思うのだが、どうも連中はそう思わないらしいのだ。ベトナム戦争時の戦闘機に"freedom fighter"(自由の戦士)とつけるくらいならまだ判るのだが。
 このように名前の付け方一つでもお国柄の違いが出るのが面白い。今回はロシアとアメリカくらいしか触れられなかったが、他の国でも面白い例があるのだろうか。もしあったらぜひ聞いてみたいものである。

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July 18, 2005

書評:石油を読む

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石油を読む/藤 和彦
 最初に断っておくと私はこの分野に関しては素人なので、この本に関しても内容の真偽に関して踏み込んだり、さらに読み解いたりする事は出来そうもない。では何故この本を取り上げるかというと、石油というのが今や単なるエネルギー問題を越えて安全保障から、国際為替相場まで私たちの日常生活のありとあらゆる所に影響を及ぼしているからである。しかも、その割にはその元になっている石油について、自分も含めてあまりにも無知なのではないだろうか。
 この本を読んで目から鱗だったことはたくさんある。例えば、何故中国は対外摩擦も恐れずに資源を囲い込もうとしているのか。一時期は経済が破綻したと言われたロシアが何故今元気になってきているのか。アメリカのイラク戦争は噂されているような石油目当てのものなのか。20世紀のころから無くなると言われ続けた石油は何故今も枯渇していないのか。などに対して石油をキーワードにして読み解くことにより実に判りやすく見えてくるのだ。
 いや、私たち庶民が国際石油相場の仕組みをしってもしょうがないしと思うかも知れないが、為替や株などにちょっとでも関心があるなら、石油を知ることはこれらを読む上でも役に立つし、日頃噂されている様々な危機をあおるニュースでも本当に危惧すべき事と、単なるデマゴギーのが見分けられる(手がかりになる)ことはきっと役に立つと思う。エネルギー問題に興味がある人はもちろん、国際政治や貿易、為替や株などに興味がある人もぜひ一読を勧めたい一冊である。

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July 17, 2005

沖縄料理屋の泡盛覚え書き

awamori_menu
 今回は私的なメモ。以前から気になっていた仕事先の近くの沖縄料理店は、写真にもあるような100種類以上泡盛のコレクションを誇っていて前から気になっていたのだが、とうとう今日仕事が比較的速くキリが付いたので飲みに行ってしまった。ちなみにここはソムリエでは無いが好みを言うといろいろチョイスしてくれて結構危険である。おかげで単なる食事のつもりで行って四千円以上散在してしまった。
そのとき飲んでおいしかった銘柄を忘れないうちに記録しておく。
今帰仁酒造所 王朝乃邦
泡盛というと癖が強くてと言う人もくいくい飲めそうなさっぱりした上品な味。度数も泡盛にしては低く(とは言っても25度もあるのだが)、泡盛初心者にもお勧め出来そうな感じであった。しかしその分、いくらでも飲めそうで危険である。
久米仙酒造 久米仙
久米仙と言う名の泡盛はたくさんある上に、作っている酒造所も違うからやっかいだ。これはその中の那覇市にある久米仙酒造のもの。この古酒バージョンは度数43度で本格熟成したコクのある飲み口の割には、口当たりが良い。本格的な泡盛を飲みたいけど、香りや癖が強いのはいやだというわがままにぴったりな銘柄といえるだろう。
なお今回は飲んでないが、一番のお気に入りでたいてい自宅にキープしているのがこれ。
菊之露酒造(株) 菊之露
こちらは新酒から8年もの(噂では瓶に入ったさらに年季の入ったものも、入手できると言う噂もあるが)まであり、味は段々に熟成しまろやかになっていく。たいていは5年ものを飲んでいるが、いつか8年ものやそれ以上のものを飲んで見たいものである。(だがとてもレアなのか滅多に売っているのを見たことがないのだが)

参考Link:琉球泡盛王国
649種類の泡盛を扱っていて、味わいや香り、アルコール度数などでも検索できるオンラインショップ。

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July 16, 2005

広告化する雑誌、商品化する恋愛

 以前書いた記事でも触れたが、雑誌の広告化は思った以上にあらゆるジャンルに及んでいるらしい。それとこの手の雑誌のキャッチフレーズが「もてる○○の××(××には商品名が入る場合が多い)」というのも何だかなーと言う感じである。この手の広告化する雑誌と商品化する恋愛に関しては、いつか時間があいたときにでもここら辺の話を掘り下げると面白いと思うのだが、今回は時間が無いので気になったLinkのクリップとメモ書きにとどめたい。

・電車男に関する話し
 電車男に関しては様々な語り口と読み方があるが、最近ブームになった(された)こともあって大抵の恋愛論でまず前提として引用されるので、とりあえずはこんなもんという紹介程度にLinkを張っておく
まずは本家のまとめサイト
男達が後ろから撃たれるスレ 衛生兵を呼べ
次に電車男と商業主義に関する考察で興味深かったものを
見たこと聞いたこと:電車男関連(長文注意)

・電波男に関するメモ
 でこちらの方が本題に近いのだが、酒井順子の「負け犬の遠吠え」や上の電車男を引く形で、(実はドフトエスキーやら宮沢賢治やら、もっと壮大なテーマも引いて論じられるのだが)語られた非モテ男考と恋愛資本主義論の本。元ネタは著者本田透氏のサイトしろはたを参照のこと。
まずは元ネタの本
その他電波男に関する感想Link
好き好き大好きっ
読書感想日記/本田透 (2005) , 電波男, 三才ブックス
趣味のWebデザイン/「電波男」メモ
一部でとても話題になったのだが、大抵は前半の非モテ男論が中心で恋愛資本主義についての議論はネット上ではほとんど盛り上がっていないのが残念だ。こちらのテーマで今の広告や雑誌やメディア論と絡めて分析していけば、すごく面白いと思うのだが誰かやってくれないだろうか。

・広告化する雑誌考
 最近、皆同じ事を感じているらしくこのテーマは以外にいろんなところで取り上げられているようである。以前同じテーマで書いた話と若干ダブるところもあるが、防備録として再度まとめてLinkを張っておく。
ラピタの転向を批判する
まずは自分の記事
犬にかぶらせろ 『マックパワー』のリニューアルって……
続いてMapPowerに関して同様なテーマで書かれたもの、単なる批判に留まらず、何故最近の雑誌は皆広告化しているかについての分析が参考になる。
債権・株・為替・中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら NIKITA・・・艶女・艶男
この手の雑誌の総本山「LEON」と「NIKITA」に関する話。元ネタは今週の「週間文春」の豊崎由美さんの記事(P43より)なので興味のある人はそちらもどうぞ(より辛辣で笑えます)。その中でも書かれているが、この手の雑誌のキャッチコピーが「(恋愛で)モテる」で、それを男性側・女性側両方で展開してマッチポンプ化しているくだりがとても面白く参考になる。これを見ると今後この手の手法があらゆる年齢層の雑誌、メディアに広がりそうなのが頭の痛いところである。

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July 15, 2005

blogのネタ考

 最近書くネタが無い。と言うかいろいろネタはあるんだけど調べないと書けないことが多くてすぐに手が出ないと言うのが実情だろうか。別に原稿でも無いのだし好き勝手なことを書けばいいのだろうが、どうしても自分の中で対して中身のないことを書くことが許せないのである。(その割には毎回中身の薄い話が多いわけだが)そうして書くことを考えると、オリジナルの考察を加えるわけでもないのに他で書かれていることを書いてもしょうがないし、かといってそれほど独創的な話題が有るわけでもない。
 マーケットの馬車馬さんの匿名の重み・実名の重みの記事によると、blogは大きく分けて情報や新しい見方を提供するニュースとしての側面と、共感を共有し合うコミュニケーションツールとしての役割があるそうだが、じゃあネタがないからといってコミュニケーションツールとしてblogをやるつもりもあまり無いのが困ったところである(クネクネが嫌いだと言うあまのじゃくな質なのもある)。
 そんなわけで必然的に取り上げるネタは純粋な自己のための日常の記録か、他では取り上げてないマイナーなテーマが中心になるのは仕方がないことだろう。とはいえ、最初に戻るがこのマイナーなテーマでもいざ書こうとするといろいろ調べることが多くて大変なのだ。例えば以前取り上げた早期警戒衛星の話などが顕著なのだが、もともと興味を持つ人が少なそうなテーマは別として、本来重要度が高いはずなのに何故かあまり取り上げられない話題は、たいていの場合専門性が高すぎてとっかかりが無いか、いろいろな理由で資料がどこにも無いかのどちらかだったりする(まあだから取り上げる人がいないのだろう)。まあこんな辺境の場所で何を書こうが構わないのだろうが、せめて間違いは書きたくないと言うささやかなプライドの話に過ぎない訳だが・・・。

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July 14, 2005

水の話

water_bottle
 ミネラルウォーターを買って飲むと言う習慣はいつから定着したのだろうか。少なくとも私は少し前まで水を買って飲む日が来るなど思ってもいなかった。それが、またなんで水を買うようになったかと言うと、衛生のためだとか健康の為だとかではもちろんない。むしろこれらは実効性が疑われている分野なので、もし本当にそれが目的ならやめた方がいいと思っている位である。衛生なら下手に保存して雑菌が増えてしまう危険性のあるボトル詰めの水よりも水道水の方がずっとましだし、味についても浄水器を使えば結構いける(ちなみに自分が使っているのはブリタ)。またカルシウムなどのミネラル補給であれば牛乳の方がずっと含まれる量は多いし、また海洋深海水などの過度にミネラル類が多いものは、へたをすれば下剤になる程なのでやめた方がいいだろう。
では何故夏場だけでも水を買っているかというと、単純に頻繁に飲み過ぎるのでどんどん淡泊なものが欲しくなるくせに、味のないものは駄目と言うひねくれた嗜好によるところが多い。そのせいだろうか、どうも日本で人気のあるミネラルウォーター類は物足りなくて、サンペリグリノなどの比較的硬度の高いガス入りの水ばかり飲んでいるような気がする。いやガスが入っているとビールを連想するのがガス入りの水が好きな本当の理由なのかも知れない。
 ちなみに最近のお気に入りはサンベネデット(SAN BENEDETTO)、何故これかというと単純な話で近所のスーパーで売っているガス入りの水はこれが一番コストパフォーマンスが良いからである。(ペリエはレモン入りとか何か入っているのしか近所では売ってない、また水は重いので遠くで買いたくないのである)そのほかに飲んでいるのはサンペリグリノ、ロケッタ、ヴィトロガッティなどである。この中で一番のお気に入りはサンペリグリノなのだが、元々高めだったのが最近何故か高級化してしまい、最近はあまり飲まなくなってしまった(確かに一番うまいのだが)。ヴィトロガッティはガス入りな上に、健康にいいとブームになったコントレックスよりもさらに水の硬度高いので、物珍しさで買ってみたのだが確かにいかにもミネラルというくらいだれが飲んでも判るほど独自の味が有ったものの、旨いかと言われると微妙である。(まあコントレックスよりは飲みやすかったが)
 そんなわけで、最近は近所の店の仕入れのままにガス入りの水を飲む生活が続いている。

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July 13, 2005

浅草ほおずき市に行きそびれる

 この前の土日は浅草でほおずき市がやっていたらしい。実はその日は仕事で浅草の仕事先に出ていたにもかかわらず、てんぱっていたせいもあり気が付いたのは帰りの電車の中であった。
 知らない人のために浅草ほおずき市がどんなものかというと7月9〜10日は浅草寺の功徳日にあたり参拝すると4万6000日分の御利益があるとされ、200年ほど前に芝青松寺の門前ら武家屋敷に奉公してていた仲間(ちゅうげん)が、夢のお告げでその日に青ほおずきの実を、愛宕の神前で鵜呑みにすれば御利益があると行ったのが始まりで、いまではこの2日の為に栽培したほおずきをもって東京中からお店が、浅草寺境内に立つという。来訪者は外国人観光客も含め2日でなんと60万人にも及ぶというが、幸か不幸か三社祭りほどの混雑にはならないようである。
 それでも私が帰る、夜10時近くまで浴衣姿の女の人がほおずきを持って電車に乗っていたのだから結構なにぎわいだったのだろう。写真好きで、浴衣好きな自分としては何で見に行かなかったのか悔やまれるばかりである。
(余談だが、友達の女の子に浴衣姿の娘がいいねと言ったら意外な顔をされてしまった。何か下心があるとでも思われたのか、それとも日頃女性の格好も含めて服の話などしないからだろうか。写真好きかつ江戸情緒好きなので自分の中では着物や浴衣は見るのはもちろん着るのも(とはいえ男の私は浴衣や甚平しか着ないが)好きなのはそれほど違和感なく繋がると思うのだが、どこかにギャップがあるらしい)

 しかしこの前の三社祭りといい、これだけの頻度で祭りがあってしかもそれが生きた伝統として生き続けているのだから、浅草はすごい街だと思う。

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July 12, 2005

アストロE2打ち上げ成功

mv6-0710
 タイトルだけ見ても何のことか判らない人も多いような気がして残念だ。念のため書いておくとこれは宇宙航空研究開発機構(JAXA)が7/10にM5ロケット6号機で打ち上げたエックス線天文衛星の事である。
私はこの旧宇宙科学研究所の流れをくむM(ミュー)ロケットが大好きなのだが(理由は後述)、残念ながら日本のマスコミはスペースシャトルなどの米国の宇宙開発ニュースは喜んで放送する割には、肝心の自国の宇宙開発には冷淡なようでTVではほとんど報道されなかったようである。日頃愛国心云々と言われている割には、宇宙開発に限らず科学技術などの国内の取り組みはどうしてこんなに冷遇されるのか理解に苦しむところである。
 話が逸れた。私がMロケットが好きなのは、それがマイナー好みの自分の嗜好にあっているというのもあるが、なんと言っても純国産でかつ非常に斬新かつ独自だからだ。実はこのロケットは固体燃料式ロケットで世界1〜2位を争う性能を誇るもので、特に固体燃料式ロケットを使って火星探査衛星「のぞみ」を惑星間軌道に乗せたのは世界でも日本だけがなし得たことなのである。そしてまたウルトラマンなどの60年代から70年代の特撮モノ大好きな私にとっては、K(カッパー)ロケットから続く銀と赤のレトロな配色や、それを軍手と黄色い安全ヘルメットをかぶった土臭い技術者達が黙々と組み立て運用していく様が、まるで当時のレトロな外見の最新メカが活躍する姿とだぶってしまい思わず目頭が熱くなってしまうのである。

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July 11, 2005

本日の本屋の戦果及びもう一つの漫画家失踪モノについて

 最近、平日本屋に行く暇がないせいもあって休日になると、大きな本屋に寄って山のように本を買ってしまうようになってしまった。下手に大きな本屋に行くと普通の書店では置いてないような本を見つけてしまうせいもあって、いつもより散財する度合いがひどくなっているような気がする。
 そんな訳で先日の戦果。
インドな日々/早水りんこ
トルコで私も考えた/高橋由佳利
55歳の地図/黒咲一人
自己愛型社会/岡田尊司
アメリカの行動原理/橋爪大三郎
 今回買ったリストを見て気が付いたのだが、どうも私は旅行記ものや外国生活ものが好きなようでこの他にもかなりのこうした作品を買っていることに気が付いた。その割には自分では海外生活はおろか、2週間以上の海外旅行の経験すら無いのは皮肉な話である。こんなことなら若くてもっと暇なうちに一度海外で生活しておけばよかったと思うのだが今更いってもしょうがあるまい。
 続く「55歳の地図」は吾妻ひでお氏の「失踪日記」に続く漫画家失踪ものだが決して単なる二番煎じ物ではない(まあこんな大変な経験を単に二番煎じネタの為にする人もいないと思うが)。
ところでこの作品で失踪する動機が原稿の以来が途絶え生活費が底をつきかけたというのは笑えない。なにせ私のようなフリーランスの人間なら、いや今なら大抵のサラリーマンが、いつかは自分もと恐れている状況だからである。だが高橋氏が選んだ道が最初は単なる思いつきだったかも知れない四国遍路だったのが、彼を救う事になる。詳しくはぜひ本書を読んで欲しいのだが、ふと思ったのは昔からあるこうしたシステムは単なる伝統や習慣の枠を越えて、追いつめられた人間を救済するシステムになっていたのではないだろうか。同じ状況の時、他の場所に行っていたらきっと単なるホームレスとして誰からも省みられることもなく、下手をしたら命を落としていたと思うとこうした伝統が実はいろんな意味を持っていることに気が付かされるのだ。なおこの本も「失踪日記」とはまるでカラーは違うものの、話の面白さ(と書くとなんとなく罪悪感を感じるが)や経験のすごさと言う点では負けず劣らずの内容なので、ぜひこちらもいろんな人に読んで欲しいものである。

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July 10, 2005

ロシア語の動詞に苦しめられる

 日曜日でアクセスが少ないはずなので、マイナーなテーマを書く。
 ロシア語についてちょっとだけ知っている人や語学好きの間で定説になっているのが、「ロシア語の文法は難しい」と言うことになっている。だが本当に難しいのかそれについて書いてみよう。確かにロシア語は名詞の性が男性形・女性形・中性形と3つもある上に、形容詞や動詞がそれに合わせて変化する。また格変化という奴があり、日本語で言う「てにをは」にあたる部分が、直接名詞や形容詞が変化することで表される(これを格変化と言う)。
 ちょっと判りにくいので例を上げると
「モスクワはロシアの首都です」と言うのが<<Москва столйца Россйи.>>となるのに対して
「私はモスクワに行きます」だと<<Я еду Москву.>>とа→уと変化することで日本語の「〜に」などの役割を果たすようになっていて、通常日本語で「てにをは」にあたる言葉は使わないと言う訳である。
 話題がでたついでに書くと「〜に行く(もしくは来る)」と言う動詞は日本語では「行く」と「来る」の2つしか無いのに対し(まあ敬語を入れると別だが)、ロシア語では何の因果か滅茶苦茶多く「何で行ったか」(歩いてか、乗り物か分かれている上に、これは動詞全般に言えることであるが、いつ行ったか(過去・現在・未来)、何回行ったか(一度きりなのか、繰り返し行くのか)で違う単語(正確には体が違う形)になっているのが堪らない。実は個人的にはロシア語で一番やっかいなのは先ほどの性や格変化よりもこいつにあるのではないかと思っているのだが、しかもこれは「行く・来る」だけに限らずに移動に関する動詞全般に当てはまるのだ。

(歩いて)行く  идти(片道の移動)  ходить(繰り返しの移動)
(乗り物で)行く ехать(同上)    ездить(同上)
(歩いて)運ぶ  нести        носить
(乗り物で)運ぶ везти        возить

しかもこれに接頭辞がついて「ちょっと○○する」とか「決して○○する」とか言う意味になるのである(; ;)。

 とはいえ、皮肉なことにこれがロシア語の学習を容易にしているところだと言う話もある。というのは一度ルールを覚えてしまうとたいていのことに応用が効くからである。これは文法のみならず発音に付いても当てはまる。ロシア語の場合、発音のルールさえ覚えてしまえばまずたいていの単語はそのルールのままの発音なので、漢字や英語のように見たことのない単語の読み方が判らないと言うことはまずあり得ない。
 難解な文法だが例外が少ないと言うのが、ロシア語の難しさでもあり容易さでもあるのではないかと思っている。

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July 09, 2005

人の特性を電池にたとえてみる

 以前書いた話で電池の特性について書いたことがあるが、なにかの与太話をしたときにこれって人間にも当てはまるねということになった。これだけだと何の事か訳が分からないと思うのでちょっと補足すると、電池は種類ごとに減り方が違っていると言うのが元のネタで、これが仕事におけるタイプの違いに使えるんじゃないかと言うことである。
battery_carve
 では最初に予備知識として電池の特性について書いておこう。まずはこの図が電池の種類における減り方の違いである。ごらんのように比較的なだらかに落ちていくマンガン電池に対し、ニッカド電池やリチウムイオン電池などの2次電池の多くは、あるところまでは電圧はほとんど落ちずに最後に一気に電圧が低下する属性をもっている。で元ネタに戻るが、仕事が詰まってくるとちょうど人間も同じように見る見る弱ってくる人と、ある程度までは一見平気そうで、その後一気に倒れてしまう人がいるのではないかと言うことである。まあ希におまえは原子力で動いているのかと聞きたくなるようなどんなハードワークも苦にせずに働き続ける人もいるにはいるが、こうした人が上司だったりすると悲劇である。なにせこうした人たちはものすごく仕事が出来るのはいいのだが自分が出来る分、周りの人も自分と同じペースで働き続けることが出来ると思っているからである。
 最後はすっかり話が脱線してしまった。さてあなたはどのタイプだろうか。

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July 08, 2005

散歩カメラの大きさ

 最近気づいてちょっと愕然としてしまった事の一つに、以前、自分で嘆いておきながらフィルムをほとんど使わなくなった事がある。そう、最近持ち歩いているカメラはどんどん小さく簡便なものになり、とうとうPanasonicのDMC-FX7になってしまった。これはこれで便利でいいデジカメなのだが、曲がりなりにも写真でお金をもらったり、一時期4×5の大型カメラで街を撮っていた自分としては、どうも堕落したような気がしてならない。
 かといって人間一度楽なものを覚えてしまうと戻るのは難しいようで、仕事でも無い限りとてもじゃないが散歩に大きなカメラを持ち歩く気にはならなくなってしまった。これでも昔は散歩にスピードグラフィックを持ち歩いていたのに、いまやRobotですら重く感じる始末である。
 自分ですらこの有様なのだから、多くのメーカーがフィルムの生産をやめるのも当然なのかも知れない。
 それにしても周りを見回して思うのは、相当なカメラ好きでも年をとるにつれて日常で持ち歩くカメラが小さくなっていくことだ。特に時代が進んでカメラの小型化が進んだせいもあるだろうが、それよりも大きいのはだんだん体力や気力が衰えて大きなカメラを持ち歩くのがしんどくなる事の方が大きいのだろう(そんな年でもないのに)。年上のカメラ好きの方がそんなことを言って小さなカメラを持ち歩くようになったときには内心「なに年寄り臭いことを」と思ったものだが、気が付くと自分も同じような事を言って小さなカメラになってしまった。
 かの田中長徳氏のエッセイ「中版大判パノラマカメラ」によるとカメラマン石元泰博氏は今でも徒歩で8×10と言う超大型カメラを車も使わずに持ち歩いて写真を撮っているそうだが、われわれへなちょこカメラ好がへなちょこのままなのはこうした気骨が足りないからなのかも知れない。

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July 07, 2005

ゲームは物量戦にあらず

 最近直面している問題に、ゲームの物量戦化の問題がある。要は「もっとポリゴンを,もっとムービーを,もっとステージを,もっとアイテムを,もっとキャラクタを……」というやつだ。そんな訳で、今も大量の素材づくりに追われているのだが、こうした物量戦化についての問題点を的確に指摘した記事を見つけたので紹介したいと思う。かなり長いので覚悟して読んで欲しい。

Radium Software Development(http://www.radiumsoftware.com/index.html) 「Rants」(日記ページ) より

040528 - Audience Engineering (2)
ゲームデザイナ Chris Crawford 氏は, "The Journal of Computer Game Design" の Volume 6 (1992, 1993) の中で,次のような記事を執筆している。題名は "Audience Engineering" −「観衆工学」だ。

http://www.erasmatazz.com/library/JCGD_Volume_6/Audience_Eng...

少し長い文章ではあるけれど,述べようとしている内容は一言にまとめることができる。すなわち,「我々の顧客は,己の欲するものを知りえない」という主張だ。
 ある種の市場においては,顧客は己の欲するものに関して完全に明確な考えを得ている。コンピュータを買い求めようとしているプログラマは,そのスペックを正確に指定することができるだろうし,腹を空かしてレストランに入ってきた客は,メニューの中にある最も良さげな品目を即座に決めることができるだろう。
我々は「情報」を売っている。しかもそれは特殊な種類の情報 −娯楽のための情報だ。このことは,我々に対して他の多くの市場とは異なった事情をもたらしている。物質的な商品に対しては,顧客は同一性を求め,情報に対しては,顧客は違いを求めるのだ。例えば,私が車を買うと決めたら,既に持っている車よりもちょっと良いだけの,ほとんど同じものを求めるだろう。そのとき私は,「驚異的な飛躍を遂げた全く新しい種類の車」を欲しがったりはしない。それしか選択肢が無いのであれば買うかもしれないが,躊躇しながら購入することになるだろうと思う。
しかし,これはゲームには当てはまらない。 "Balance of Power" (Crawford 氏の代表作)を所有していながら,それを再び買おうという人が果たしているだろうか? 私は過去に3台のホンダ・プレリュードを所有してきた……私は "Chilis" のチキン・サンドイッチを何十個も食べてきた……私は十数本ものリーバイスを購入してきた……しかし,私のこれまでの人生において,自分のために同じゲームをふたつ購入したことは,いまだ無い。
これは,市場に存在する商品としての「情報」に関して,根幹を成している属性だ。「情報」が何らかの価値を持つためには,顧客が既に有しているものに対しての違いを持たなければならない。我々は,いかなる「情報」も,そのふたつめのコピーを売りつけることはできないのだ。我々は,「新しく」かつ「異なる」ものを提供しなければならないのだ。
 Crawford 氏の主張は次のように続けられる。
観衆は,どのようにして己の「新しく,かつ,異なる情報」に対する願望を知りえるのだろうか。物質的なものであれば,己の願望を言葉にすることは簡単だ。私はもっと新鮮なバナナが欲しいのであり,もっと速い車が欲しいのであり,もっと大きなテレビが欲しいのだ。しかし,どのようにすれば「違い」を言葉にできるだろうか?私が物質に対して行うフィードバックは発展的なもの(「もっと新鮮な」,「もっと速い」,「もっと大きな」)であったが,これが情報に対してとなると,根本的な否定(「私がいまだ持っていないもの」)となる。果たして,そこに無いものを表すことなどできるだろうか?ゆえに,顧客は正当であるとは言えない……彼らは,己の欲するものを知りえないのだ。
 ゲーム産業は,この問題に関して正しい理解を得ることに失敗している。正しく理解する代わりに,顧客が口にする願望に応えることによって,この問題に対して発展的なアプローチをとるべきであると考えてしまっている。常に程度の問題としてしまうのだ。「もっと新鮮に,もっと速く,もっと大きく」ではなくて「もっと色を,もっと画像を,もっと音を」……これは 1980 年代におけるアタリ社の宣伝文句であるが, 12 年経った今となっても,我々の最重要戦略を的確に表している言葉である。
 産業が常に「カメラの再発明」を迫られている理由のひとつを,これによって説明することができる。すなわち,娯楽は常に変化を求められているのであり,観衆の願望を満たすためには,その製品が以前までのそれとは異なることを主張できなくてはならない。
 しかし,観衆や制作者の多くは,内容の発展的な変化によってしか,己の願望を言い表すことができないでいる。「もっとポリゴンを,もっとムービーを,もっとステージを,もっとアイテムを,もっとキャラクタを……」。その発展は,観衆の願望を根本的に満たすものではないにも係らず,観衆の期待に応えるという名目の元に,そのような方向性での制作が続けられてしまう。
 本当に観衆の願望を満たすためには,良い意味で観衆を裏切らなくてはならない。しかし,逆にそういった裏切りが観衆を遠ざけてしまうのではないかという恐れから,ますます本来作るべきものを作れなくなってしまっている。 Horneman 氏が「カメラの再発明」という文脈の下に危惧している状況は,そこにあると,僕は解釈している。

 読んでもらえば判ると思うが勝手に私なりにまとめさせてもらうとポイントは2つあると思う。
一つは本文にもあるように、これまでにない○○と言う要求はすなわち「我々の顧客は,己の欲するものを知りえない」ということ。そしてもう一つは残念ながらこれまでにない○○(今回で言えばゲーム)を要求しているのに対し、作り手側も本当に新しいものを作ることが出来ずに単に物量を増やしてさも新しいもののように売っていると言うことだ。
 しかしこの問題は残念ながら分かってはいるものの、解決しづらい難問でもある。竹熊さんのblog「竹熊日記」の中にあるアイディアのつくり方の中に書かれていたキューブリックの苦悩にもあるように、本当に見たことのないものを作るのはとても難しい事だからである。
 さらに残念な事にこれはゲームだけに当てはまることではない。あらゆる娯楽についても当てはまる事なのである。

 かくして私たちの周りには、同じ小説から何度も映画化された作品が上映され、どこかで見たようなキャラクターがどこかで聞いたような台詞をしゃべり続けるのを何度も見せられることになっているのではないだろうか。

7/8追記:セイファートさんより興味深いトラックバックをいただいた。詳しくはトラックバック先を読んで欲しいのだが、簡単に言うと「新しく斬新なものを作る」が仮に出来たとしてどうやってその「斬新なもの」の遊び方なり使い方をユーザーに伝えるかと言う問題があると言う指摘である。
 確かに言われてみればそれもやっかいな問題で、ゲーム以外にも最近の携帯やソフトにも当てはまりそうな話である。そういえば携帯を買い換えるたびに驚くのは年々マニュアルが分厚くなっていくことだが、いったいだれが読んでいるのだろうか。
 そのせいだろうか、最近のゲームではシナリオの最初の部分はほとんどチュートリアルで占められるものが多くなったと思う。特に難易度の高いシミュレーションゲームともなると、下手をすると本編にたどり着く前に息切れしそうな分量だ。これもこれまで書いた問題に対するメーカーなりの対応だとは思うが、もっと巧い手がないものかと思っている。(残念ながら自分でも見つかっている訳ではないが)。

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July 06, 2005

浅草の夜

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ライトアップされた浅草寺と五重塔。
 浅草の夜は観光地とはいえ早い。仲見世通りなどの中心地は夜8:00には閉まってしまうし、周りの店も新宿や渋谷などの繁華街に比べると早々と閉まってしまうイメージがある。しかし、買い物をするのでなければ浅草の夜は意外な穴場なのだ。特に夏は夜の11:00まで浅草寺や五重塔などがライトアップされている上に、お祭りでも無い限りは思った以上に人が少なくてゆっくりとお寺などを見ることが出来るだろう。そんな訳で、仕事の息抜きに(逃避とも言う)ちょっと浅草寺周りを見て回る。
 面白いのはさすが観光地らしく、あらゆる国の人たちを見かけることだ。いや、以前も書いたように、もしかしたら英語以外の外国語がおぼろげながら分かるようになってきたので気づくようになっただけなのかも知れないが・・・。

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July 05, 2005

ディープインパクト

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ディープインパクトと言っても映画の話ではなく、NASAが行っている彗星探査計画の名称である。
まずはそれがどんなものか、国立天文台のwebより引用しよう。

ディープ・インパクト探査計画は、日本時間で2005年7月4日に、9P/Tempel 彗星 (テンペル第一彗星、以後「テンペル彗星」と表記)という彗星核に衝突体(インパクター)を衝突させ、その様子を観察するという、アメリカ航空宇宙局(NASA)の彗星探査計画です。彗星に打ち込むのは、重さ約370キログラムの円筒形のインパクターで、彗星物質と反応しやすい部分はほぼ100%が銅でできており、それ以外の部分に観測及び自動操縦に用いられるカメラが搭載されています。銅でできているのは、衝突後ばらばらになって蒸発しても、彗星本来の物質と区別ができるように、と配慮されたものです。  インパクターの衝突速度は秒速10.2キロメートルにも達し、TNT火薬換算で5トン分の衝撃力を持ちますので、彗星核の表面には最大で深さ30〜50メートル、大きさ200メートルほどのクレーターができると考えられています。衝突によって起きる様々な現象は探査機本体によって至近距離から観測します。探査機本体には、視野の異なるふたつのカメラおよび赤外線の分光計などが搭載されていて、衝突によるクレーターの形成や、その後の彗星核表面の変化の様子を詳細に観測することになっています。  これによって、彗星核の表面の強度や内部から蒸発してきた彗星核本来の成分などが明らかにされると考えられています。

なお余談だが、この国立天文台のページはすごく良くできていて、今回の件に関して今後発表される速報は別として技術的なコメントや分析を書き足す余地はどこにもない。そんな訳で今回はテクニカルな話はパスして最近の惑星探査プロジェクトを通して感じた事をちょっと書いてみたい。
 以前話題になった火星探査機スピリットの時もそうだったが、最近はCG技術が進歩したおかげで事前にNASAからよく出来たCG映像が発表されるようになって久しい。それ自体はプレゼンテーションとしてすばらしいことなのだろうが、逆にそれがリアルとシミュレーションの違いをますます曖昧にしてしまったようにも思う。これは別に宇宙開発に関わらず、あらゆるジャンルの映像に関して言える事だろう。あの911の時にさえ、妙なディジャブを感じた映像制作者は多いのではないだろうか。そのせいだろうか、以前より惑星探査機からの最初の映像はインパクトを持って受けいられなくなってしまったような気がしてならない。自分が子供の頃は新聞の写真であってもわざわざ切り抜いてコレクションにしていたのだが、今の子供にも同じような感動があるのだろうか。

 そういえば昔はカラーコピーなどを駆使した見た目が立派な(だが得てして中身の薄い)企画書は邪道とされていた時代があったのを思い出してしまった。当時、インテリアの設計会社だった私は良く取引先に立派な企画書を持っていくと、かえってうさん臭がられる時さえあったのが、今では普通の会社の決算報告のようなものですら、カラーで作られる時代になってしまった。
かくして私たちは自分たちが作り出す資料さえ、中身以外にも見た目の豪華さにも力を注がなくてはいけなくなってしまったのである。

参考Link:『ディープ・インパクト』衝突の画像、ネット上で速報(hotwiredの記事)
NASAによるディープインパクトのシミュレート映像

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July 04, 2005

NHKロシア語講座が面白い

 以前も書いた、NHKラジオロシア語講座だが3日坊主になりがちな当初の予想に反して今のところ何とか続いている。
我ながら不思議なくらいだが、その理由の一つに今年の講座内容が面白いと言うのがあるだろう。いや、本当に面白いかと言うと、所詮は教科書だしあまり文字道理に受け取ってもらっても困るのだが、それでもここ数年の中では秀逸の部類に入るのでは無いだろうか。
 まず良い点は、たまたま自分のレベルにあっているという点である。以前のエントリーでも書いたように今年のテキストは入門編から飛ばしまくっていて、いきなり単語や挨拶をすっ飛ばして13番館と言うアパートの住人達のドラマが始まるのであるが、それが昨年から続けて聞いていた自分にとっては前半からだれずに聞けたのである。
 もう一つは、純粋にストーリーがとてもNHKのテキストとは思えない内容のおかげで続きが気になってしょうがないのと、つっこみどころ満載なのである。普通、教科書と言うと学生を対象としているせいもあって、結構道徳的な退屈な話が多い筈が、TVの外国ドラマではないが様々な人間ドラマがあり、かつ今年の話はよく読むと結構やばい話が混ざっているのだ。
 住人達も別に悪人がいるわけではないが、アンドレイの奥さんは出てくるたびに贅沢な暮らしをしたいと言うは、買い物にせいを出すし、アパートの長老グリゴーリー・ペトローヴィチは毎回詮索好きで話が長かったりする(笑)。先月はロシアの警察と交通事情を知っている人間だったら、思わずほくそ笑んでしまうような交通警察が難癖をつけて罰金をふんだくるのを旨くくぐり抜けることがロシアの運転のポイントだという話に(もちろん直接ではないものの、知る人なら皆判るように)触れているし、今月はとうとう奥さんに触発されてかアンドレイがギャンブルで一攫千金をめざしている話を語り始める始末である。(おい、大丈夫か?)
 そんなわけでえらく忙しいにもかかわらず、NHKロシア語講座は私の密かな楽しみになっているのであった。

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July 03, 2005

書評:誕生国産スパイ衛星

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誕生国産スパイ衛星
 日本の偵察衛星に関する分析で秀逸だったのは、松浦さんが日経Biztechに書いたものがあるが(以下の参考Link参照のこと)、そこで語られなかった政治・外交面での分析がこの本の売りと言えるだろう。
 特に興味深いのは、アメリカのさまざまなアプローチと圧力についてである。詳しくは本書を読んで欲しいのだが、当初アメリカは日本の偵察衛星に関して日米同盟の支援するものだとする見方と、日本独自の安保外交路線につながるものだとする見方を持っていて、後者の見解を取る側は日本独自の偵察衛星配備計画を快く思わず、様々な圧力(と言ってもいいだろう)をかけてきた下りが生々しく書かれている。
 また、最終的にアメリカが前者の見方を取るようになってからも、今度はロッキードマーチンをはじめとしたアメリカの航空宇宙産業が猛烈な売り込みをかけて国産化を断念させようと、アメリカ政府と共に圧力をかけてくる下りもあり、これらを読むと日本の偵察衛星の問題はそのまま日本の安保外交路線と国内産業保護問題と関わっていることが浮き彫りになっていることが判ると思う。
 そして判るのはこれらに対して日本が明確なビジョンと分析を持たない限り偵察衛星はもちろん、日本の産業自体いつまでもこうした問題に振り回され、様々なしわ寄せがかかり続けると言うことではないだろうか。

参考Link:解説:情報収集衛星、既存衛星構造体採用が性能面の妥協強いる

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July 02, 2005

今そこにある危機

omikuji
 折からの雨が屋根に貯まったおみくじ売りコーナーを見かけた。視覚的なおもしろさより、興味を引かれたのはまさに「今そこにある危機」を視覚化している事だろう。ちょうど、破綻しかかったスケジュールの仕事に追われている自分には、これがまるで今の仕事を暗示しているように見えてならなかった。
あなたならこの光景に何を思い浮かべるだろうか?
日本の破綻した財政?、関東直下型大地震?、それとも・・・

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July 01, 2005

恐るべきロシアの天気操作技術

 ちょっと一息ついたものの、梅雨も終わっていないのに真夏並みの天気が続いている。おかげでビールの消費が増えるばかりだが、そろそろ夏の渇水が危惧されはじめているようだ。


小泉首相「雨を降らせる技術ないのか」カラ梅雨心配

 カラ梅雨で西日本を中心に渇水の恐れが強まっている問題が28日の閣僚懇談会で話題となり、小泉純一郎首相が「雨を降らせる技術はないのか」と、人工降雨技術について閣僚にただす場面があった。
 北側一雄国土交通相が西日本などの渇水状況について「農業への影響が心配」と報告した。首相は5月にモスクワで開かれた対独戦勝60周年式典の際、ロシア軍機が積乱雲にドライアイスを発射して雨雲の撃退を試みたことを紹介し、「雨を止められるなら、逆に雨を降らせる技術はないのか」と発言。
 棚橋泰文科学技術担当相が「雨を降らすには雲を作らなければならないので難しい」と答えた。

この記事にも出てきたロシアの人工降雨技術だが、うだうだ書くよりも向こうのニュースを紹介した方がノリが分かると思うので「ロシアンぴろしき」のgonzaさんの記事をちょっと引用してみよう。読んでいただければ判るようにロシアのすごいところは使われている技術よりもその規模にあるのが判ると思う。ほとんど乗りは戦争である。


「良い天気づくり」作戦の概要】(2005年5月戦勝記念日の場合)

・まず気象衛星や地上気象観測装置、気象観測飛行機で分析。
・雲行きが怪しくなり次第、特別装備(天候観測装置や雲に作用する物質など)の12機の空軍機(イリューシン18等)がスクランブル発進。
・方位探知機のデータはすべてコクピットに無線で伝えられ、雨の可能性がある場所は電波探知機の画面に赤色で表示される(本格的すぎ)。
・「良い天気づくり」作戦は朝7時から夜11時まで行われる。
・飛行機はモスクワ100kmゾーンで液体窒素とドライアイスを散布することによって、雨雲を追い払う。
・飛行機から空中散布される「晴れ薬」として使われるのは、液体窒素、ヨード銀の弾薬、粉上物質、炭酸ガスなど、雲の種類にあった成分が使われる。
・ドライアイスが低層の雲を薄め、液体窒素が雨層雲を散らし、ヨード銀の弾薬包が雨積雲をせん滅する(気分はもう戦争!)。
・飛行機の機体につけられたとりつけれた銃火発生装置から雲に「一斉射撃」をくわえる。
・その結果、雲は霧散し、目的地(つまり町)に達する以前に雨となって地面に落ちる。
・つまり、町に近づく前に雨を降らせる。水分をなくした雲は都市に入ったときにはすでに雨雲ではなくなっている


 いかがだろうか、確かにこれだけ物量戦を行えば効果があるのも当然のような気がする。それにしても独ソ戦の頃からロシアの火力重視の物量戦のノリは変わってないなあ。(写真は降雨剤を撒くイリューシン)
DSCF0780-80a

 ところで与太話ばっかりなのもあれなのでちょっとまじめに考察しておくと、この人工降雨技術は1946年に米国の科学者ヴィンセント・シェファーによって行われたのが最初で技術自体はそう真新しいものではない。技術の肝はある程度の大きさの雲に対して、雨の種になりそうな沃化銀やドライアイスを打ち込んでやるとそれを種にして雨が降るというもので、使われている技術よりも降雨材となる種を投下する時期と場所、投下する分量などのノウハウがポイントになるらしい。ただ相手が自然なだけにコントロールは難しく、1947年10月に米国がハリケーンに対して勢力を弱めようとドライアイスを撒いたところ勢力をそぐことには成功したものの米本土に向けハリケーンは暴走。結局多大な被害を出した事に対して原因は人工降雨作戦にあると批判が相次いだという。
 それでもこの技術自体は小さな改良を加えながらいろんな国で普通に使われているもので、昨年でも中国・タイなどで渇水対策として行われそれなりに効果を上げたらしい。また日本でも2001年夏に東京で渇水対策に行われた結果、無事雨が降り石原都知事が大喜びしたことがあったのを覚えている人もいるかも知れない。

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