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September 24, 2005

外国語の脳みそへの馴染み方

 外国語を学習していて面白いと思ったことの1つは、ちょうど子供が言語を学習してプロセスを再度再体験しているなと感じられることだ。どういう事かというと、よく子供は本を読むときに音読は出来るくせに黙読することが出来ない時期があったりするが、ちょうど私の英語がそんな感じなのである。
 そう、使われている単語もそれほど難しくなく特別に文法が入り組んでいる訳でもないのに、英語の文章を黙読していると何度読んでも途中で意味が追い切れなくなってしまうのだ。じゃあ理解できないのかと言うと声を出して読んでみると不思議と判るのである。元々私の英語はGDMと後は必要に迫られてぶっつけ本番で習得したもので会話中心になっているのだが、どうやら脳の回路も会話中心に出来ていて他の部分は未完成のようなのだ。
 不思議なことにこれがロシア語となると、読む方も(単語や格変化が判らんと言うのは多いが)それほど苦にならないから不思議である。もともとロシア語の場合、会話を実践しようにも試せる環境がほとんど無くテキスト中心の学習になっているせいもあるが、この2つの外国語を通して単純に学習量が全ての分野にきちんと反映されるものではないのだなあと実感させられるのである。(かけた時間だけは英語の方が遙かに長い)
 しかしこうして思うのは本当に語学の能力と言うのはRPGの経験値を各パラメーターに振り分けていく作業のような地道な作業が要求されるのだなあと言うことだ。ショートカットは出来ないし、あるスキルやクラスに移行するには一つだけ伸ばしても駄目で必ずいくつかの能力値を要求される。果たして語学の上級レベルに到達する経験値を積むのはいつの日になるのだろう。

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