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October 23, 2005

写真を撮る楽しさとは

 日頃持ち歩くカメラを重さと現像やフィルムの取り回しの煩わしさからデジカメにしてしばらく経つが、いつの間にか「写真を撮るのが楽しい、嬉しい」そう感じなくなってから久しいような気がする。最初は単なる懐古趣味や食わず嫌いのせいかとも思っていたのだが、どうやらそれだけではないようだ。
 今、主に持ち歩いているのはPanasonicのDMC-FX7と言うコンパクトデジカメで、このサイズながら手ぶれ補正機能まで搭載している上に、大容量SDカードを入れておけば何百枚も撮れるので、およそ使い勝手では問題は無い。取れた画像はSDカードをPCにつなげば即座に取り出すことが出来るからハンドリングという点でも最高だといえるだろう。
 だが何かつまらないのである。確かに不満はいろいろある。液晶モニター越しにしか見えない被写体とか、オートフォーカスな上にそもそもピントの山など分かりようも無く、被写体だけシャープにし背景をぼかす事ができないレンズであるとか、ましてやさわり心地はもちろん重厚な金属感などおよそ縁のないしろものである。しかしどうも問題はそれだけでは無いようなのである。どこかでこれと似た感触を味わったなあと思ったら、初めて中版や大判カメラを手に入れてそれを使って写真を取りまくった後、再び35mmフィルムを使うカメラに戻った時の感触に似ているような気がするのを思い出した。
 このときにはカメラのさわり心地では大判カメラも普通のカメラも変わらない、むしろ普通のカメラの方はLeicaだったから使い勝手の心地よさでは遙かに勝っていたはずである。それでも物足りさを感じたのは出来上がった写真の仕上がりに圧倒的な差があったこともあるが、なにより取るまでの取り回しが大判カメラでは遙かに大変だった分、集中力が桁違いだったからなのかも知れない。これだけ撮るのが大変だと撮る際には様々な事を考える物だ。どう言った構図で撮りたいか、何処にピントを合わせ、何処をぼかせたいか、露出はどうしたいか、どのタイミングで撮りたいか。そして自動化が進んでいないカメラほど、そうした意図は撮影者が意識してカメラを操作してそれを反映させなければならない。逆に言えば便利なカメラは一見すると綺麗な絵を上げてくれるかも知れないが、それはカメラ側の機能によってお節介に付け加えられたものとも言える訳だ。そう、撮影者は別にピントが合っている絵が欲しくなかったかもしれないし、露出を意図的にずらしたかったかも知れないのだ。
 最近デジカメでもリコーGR DIGITALのように、あえてズームレンズを搭載しない高級コンパクトデジカメなどが発売されるようになってきたが、これもそうした要望が反映されつつある結果なのだろうか。どこかで徹底的に高画質ながらあえて操作はマニュアルのデジカメが出ないだろうかと妄想するのであった。

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