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February 27, 2006

国家の崩壊を読んで

 「国家の罠」の著者、佐藤優氏と「突破者」の著者の「狐目の男」宮崎学氏の共著(と言っても実質は宮崎氏は聞き役で実質は佐藤氏の本と言っても良いだろう)である、「国家の崩壊」を読み始めている。
 この本で書かれていることはズバリ、ソ連崩壊前後のソ連権力中枢の闘争と当時の市民生活についてである。それが当時モスクワ外交官として諜報活動を行っていた佐藤氏の視点で解説されているのだから面白く無いわけがない。おそらく日本で読める最高のソ連崩壊時の情報分析と言えるのではないだろうか。そんなわけで内容は滅茶苦茶濃くてとても一言で感想など書けるものではないので、いくつか印象的な部分に付いてのみコメントしたいと思う。
 まず具体的に国家が崩壊する際にどのような兆候があるかについての部分が印象深かった。なんでも国家がダメになっていくプロセスで一番庶民にも解りやすいのが、警察がダメになっていくことらしい。だんだんと服装が乱れ初め、最後には勝手に交通違反を取り締まって賄賂を要求するようになっていくのだというのだ。またもう一つ印象的だったのは、インフレ率2600パーセントと言う社会がどんなものかと言う部分で、だれもが自国通貨を信用しなくなり、一時期は通過の代わりにタバコのマルボロが貨幣として使われたというのである。このマルボロ全盛期の話は「ロシアの正しい楽しみ方」でも書かれていたので知っていたのだが、要は別にマルボロが欲しいわけではなく、通貨代わりになりそうなある程度数が出ていて、偽造しにくく、持ち運びが楽なものがたまたまマルボロだったということらしい。普通に考えればじゃあドル紙幣にすればいいのにと思いそうなものだが、当時は公式には庶民がドルを保有するのは厳しく禁止されていたのでこうした事が起きたのだ。

 最近は景気が良くなったと言われるものの、それでも日本も借金でいずれ破産すると言う話もある。私たちも警察の服装に気をつけて、日本円の代わりになるものを探しておいた方がいいのであろうか?

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February 26, 2006

東京都庁が巨大不良債権と化す日

 つい最近知ったのだが、東京都庁が雨漏りに悩まされているらしい。建築後わずか15年でである。
詳細は建通新聞社サイトのニュースを引くと以下のようになるらしい。

 完成から15年目を迎え、一部で施設劣化が見られる都庁舎。施設の長期保全に向けて都財務局は、18年度から6カ年をかけて都庁舎の外壁・屋上防水などの改修工事を進める考えだ。6カ年の総工事費はおよそ10億円。相和技術研究所(目黒区)に委託した実施設計の中で、18年3月末までに施工方法などの詳細を固めていく。
(中略)
 都の試算によると、今回の外壁・屋上防水改修に要する約10億円に加え、ビルオートメーションシステム(庁舎内の電力・空調設備などの一元監視システム)の導入に約80億円、そのほかにも約30億円と、緊急的に必要な改修額だけでもおよそ120億円の支出が必要とされている。
 さらに、15年度に実施した現況調査を基にまとめた長期保全計画では、16年度から30年間で改修費などに1000億円を超える支出を見込んでいるという。

 驚くのはその修理見積金額だ。なんと改修のために総工費を同じだけの金額がまたかかると言うのである。しかし一番の問題はこれだけの浪費とも言える巨大な出費について書かれた記事をほとんど見ないと言うことだろう。新聞などでも記事になったという話は聞かないし、私自身ネットのH-Yamaguchi.netさんの所で初めて知ったのが実情だ。トリノ五輪、送金メール問題など話題には事欠かない昨今だが、その影で多くの重大な問題が曖昧にされているのではないだろうか。

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February 25, 2006

教育を解決方法にするいかがわしさ

 ARTIFACT@ハテナ系の記事を読んで思ったのだが、なにか事件や問題が起きたときに教育や個人のモラルを説く人たちに感じるいかがわしさの理由がようやく解った気がした。
 つまりそれは問題を個人の内面に限定し、政府や企業などのシステム側の問題を不問にしている点がいかがわしく感じるのだろう。この理屈でいけば既得権を持つ側は安泰だ。全ての問題は個人にあり、自分達の既存利益の元になっているシステム側には何の問題も無く変更する必要も無いからだ。
 ついでに言わせてもらえば自己責任という言葉の使われ方も同じようにずいぶんいかがわしい使われ方がされているように思える。本来、自分の責任において決定しリスクを負う代わりに自己決定権を行使すると言う意味の筈で、「いい学校・いい会社・いい人生」みたいな横並びの生き方から抜け出て「個」を確立した生き方を提唱する筈だったのに、いつの間にかどんな失敗も自分の責任だと言う意味になってしまった。しかも本来こうしたリバタリズム的な主張は「移民の自由」「婚姻制度の廃止」「裁判所、刑務所の民営化」「姓名の自由な変更」のようなラジカルな主張も含まれる筈だったのに何故かこうした点は言及されない。
 それにしても不思議なのはこうした「保守」的な主張は本来既存システム上部にいる人たちが主張するものなのだが、ネットなどを見ると明らかに既得権のない人たちが主張している事である。

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February 24, 2006

PowerBookを指圧する

 どうも今使っているPowerBookははずれだったらしく以前も何度か調子が悪くなって修理に出しているのだが、しばらく経つとまた調子が悪くなってくるようだ。さすがにすぐ直してくれるとはいえ、調子が悪くなる度に銀座のAppleStoreに持って行くのも面倒なのであれこれ試行錯誤しているうちに、人間のツボではないがある箇所を上手く指圧すると直ることが分かったので同じような問題を抱えている人のために書いておくことにする。
 なお一応念のために書いておくが、これにより万が一具合が悪くなっても保証できないので実際にやるのは各自の責任でお願いしたい。

・BowerBookG4のモニターがちらつく不具合の指圧方法
 モニター上部、ちょうど留め金がある当たりを中心にその両脇から下のあたりを液晶画面が開いている状態で指圧する。感覚的にはちょうど人間に指圧するように両手で首や背中にやるような感じでやるといいだろう。もちろんその際、PowerBookの電源は入れた状態でモニターの画面を見ながらやるのはいうまでもない。うまくいくとそれだけでモニターのちらつきは無くなる筈である。

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February 23, 2006

もう花粉が飛んでいるらしい

pollen_sign
 日頃覗いている天気予報サイト「tenki.jp」によるともう関東地方でも杉花粉が飛んでいるらしい。通りでタイから帰った後いつまでたっても喉がいがらっぽく、咳が止まらないわけだ。温度差にやられた風邪にしてはやけにしつこいと思ったのだ。
 (余談だが向こうでは海で泳げる陽気だった。暖かい国への旅行は快適なものの、この時期は日本に戻ってからが大変である。戻った最初の日など、どんなにストーブを焚いても寒くて過ごせないくらいだった。)
 それにしても杉花粉はこんなに早く飛ぶものだっただろうか。最近健忘症のせいか昨年のこの時期の記憶がだいぶ怪しくなっているが、まだ花粉には悩まされてなかったような気がするのだが…。

追記:本題と関係ない話だが隙を見て以前のタイ旅行の写真なども追加してみた。

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February 22, 2006

暗視カメラの話

 Hotwiredの記事によると最新のBMWとメルセデスベンツの車に暗視カメラが搭載されるという。暗視カメラと言うと、アニメやハリウッド映画でおなじみの星の光を何十倍にも増幅して夜でも昼のように明るく見えるエメラルド色の映像がイメージに浮かぶが、実は現実はさらに先を行っているのを知っているだろうか?
 実はこうした光を何十倍にも増幅するタイプの暗視カメラは一世代前(第2世代)に当たるもので、現在の主流は人体やエンジンの出すわずかな遠赤外線を関知するタイプ(第3世代)が中心なのだ。では第2世代と第3世代の暗視カメラはどこが違うのかと言うと、第2世代のカメラがあくまで目で見えるもの(可視光線)しか見えないのに対し、第3世代のカメラでは物体の温度の違いを知ることが出来るという点にある。この違いは実はかなり重大でこの前のイラク戦争で一方的にイラク軍が負けたのもこの暗視装置の性能の違いによるものだと言われているくらいなのだ。例えば砂嵐や火災の煙などで見通しがほとんど効かない時に第2世代の暗視カメラでは全く見ることが出来ないが、波長の長い遠赤外線は霧や煙を通過する性質があるので第3世代の暗視カメラを持つ米軍は昼間の晴天時のように相手を見つけて攻撃することが出来る訳である。他にも止まっている車のエンジンがかかっていればエンジンの熱で明るく見えるので、止まっている車両が単に止めてあるだけなのか、それともこちらを待ち伏せているのか見ただけで区別することも出来るのだ。また地面の余熱も関知することが出来るから、ついさっきまでそこに潜んでいた相手の痕跡を追跡して行き先を知るといった芸当までも可能になっているというのだ。
 このように軍事用途で役に立つせいもあって、第3世代暗視カメラの販売は非常に厳しく管理されている。インターネットで検索すれば分かる事だが、個人でこれらを買う事は出来るものの(一台100万円以上もするが)国外に持ち出したり輸入したりするのは厳しく制限されているという。
 それにしてもこれらを各兵士に支給している米軍は本当にお金持ちの軍隊である。

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February 21, 2006

学習にかかる時間

 「四〇歳からの勉強法」という本に書かれていた事で印象に残っている部分の覚え書き。
大学生が4年間講義を受ける平均時間がだいたい1600時間、大学院まで進んで博士号を取るレベルまで進むのに費やす時間が約10000時間だという。例えば語学なり専門技術なりをマスターする時にこの数値を目安にして考えると、年間約550時間(土日あたり1日3時間、平日約1時間)の時間を捻出すれば数年で何とかものに出来る計算になる訳だ。
 と言うことは今やっている語学も、後数年で大学レベルになるはずだが果たして本当だろうか?
とはいえこうした事を希望の手がかりにしてやっていくしかないのだろう。

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February 20, 2006

-40度の世界

 1月のロシアは記録的な寒波に襲われ、モスクワでは-30度と言う気温の日々が続いた。寒冷地と言うイメージのロシアでもさすがに-30度と言うのは100年に1,2回しかない異常気象だという。その寒波に関わるロシアンジョークで面白いものを見つけたのでちょっと紹介しておこう。

-5度では、イタリア車が動かなくなる。
-10度では、アメリカ車が動かなくなる。
-20度では、ドイツ車が動かなくなる。
-30度では、日本車が動かなくなる。
-40度では、ロシア車が動き出す。

 そういえば昔、ロシアカメラFed2を持って記録的な大雪が降った都心の写真を撮りまくったことがある。そのときには単純にあまりに雪が凄いので、万が一濡らしたらもったいないと思って一番安いロシアカメラを持って出たのだが、意外にも日頃の不調は嘘のようにスムーズに動いた事を覚えている。案外ロシア製品が日本で調子が悪いのは動作保証温度外だからなのかも知れないと思った出来事だった。

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February 19, 2006

ボリビア史上初めて先住民族出身のモラレス大統領が就任

 更新したいネタはそれなりにあるのだが、この前の旅行で体力とお金を消費したこともあっていまいち記事にまとめる気力がわかない。とはいえ、そのまま放っておくと忘れてしまうのは目に見えているのでとりあえず関連記事をピックアップしておくことにする。

ボリビア史上初めて先住民族出身のモラレス大統領が就任


【リオデジャネイロ22共同】昨年12月のボリビア大統領選で先住民出身として初めて当選した左翼、モラレス新大統領の就任式が22日、西部ラパスで行われた。新大統領は就任演説で、先住民の権利を拡大、貧困対策のため天然ガス資源を国有化すると強調した。任期は5年。

 このニュースの論調で意外なのは、ネットではすっかり左翼扱いされている朝日新聞や毎日新聞がこれらのラテンアメリカの左派旋風をポピュリズムとして非難する論陣を張っていることである。要はこうした天然ガス資源の国有化や農地改革ではなく、今世界を席巻しているグローバリズムに準じた市場開放を進め、国際資本が入り込めるようにしなくてはいけないと言うことらしい。日本の新聞の左右の立ち位置など所詮この程度のものに過ぎないのだが、それでも朝日を左派と言うのだろうか。
 話が逸れたが、このラテンアメリカとグローバリズムについては「代替案」さんのラテンアメリカとフリードマン: 神話の捏造に詳しい話が書かれているのでぜひそれを読んで欲しいと思う。簡潔に言えば、ラテンアメリカにおいて新自由主義の成功例はないし、また植民地時代からラテンアメリカ諸国は一部の大地主と小作農と言う問題があって、農地改革は必須なのだがそれがなぜポピュリズムと結びつくのだろうか?

・参考Link:日暮れて途遠し「中南米 左派旋風の意味するもの」

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February 18, 2006

バンコクのホテルの記憶、あるいはマットレス考

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 バンコクで泊まったホテルはファースト ハウス ホテルと言う、値段から言えばかなり安い部類に入るホテルだったのだがその割には広く、そこそこ快適な部屋だった(ビジネスセンターなどの設備は貧弱で音はかなり筒抜けだったが…)。特にキングサイズのベッドの堅めのマットレスが自分に合っていたらしく、もし自宅の広さが許すのなら同じベッドを置こうかと思った程である。それにしても広いベッドで寝るのがこうも快適だとは!
 それにしても思ったのは、自分のマットレスの嗜好は本当に昔実家にいたときの畳に布団のすり込みから出ていないと言う事である。それは確かに畳の上に直接敷き布団を置けば、布団から飛び出すことはあっても下に落ちることはないし、上で柔道が出来るくらい堅い畳も慣れてしまえば快適なものである。おそらくそうした環境で長年寝起きしていたせいだろうか、ベットの上で寝るようになってもう長いことなるのに未だに堅いマットの方が快適に眠れるのである。
 試しに寝てみると言うのもなかなか出来ないこともあって、マットレス選びは高価な割には難しいものの一つだが、そんなときには自分がどういった環境で寝起きしてきたかを思い出して、それに準じたものを選んでみるといいだろう。

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February 17, 2006

忘れられた勝利の秘密

 最近ほとんどTVを見る習慣が無くなり、自宅のTVなど数ヶ月前から掃除の時にコンセントを抜いてそのままになっている私だが、数少ない例外として見るのがディスカバリーチャネルである。内容は日本のTV特捜部や、世界紀行ものなどからくだらないタレントのおしゃべりや、クイズなどを削除したものだと思ってもらえばいいが、これの気に入っている所はその徹底した実証主義とその内容の濃さである。例えば対戦車砲の特集と言う番組を以前やったのだが、これが日本日本のTVだったらどこかで、それらしい映像を買ってきて流しながら専門家が解説すると言う当たりがせいぜいだろうが、ディスカバリーチャネルの素晴らしいところは、ちゃんと射撃場に対戦車砲を持ち込んであらゆる種類の弾を打ちまくってそれを高速度カメラで撮影するは、あまつさえ標的に本物の戦車(もちろん廃棄されたものだが)まで持ち込んで貫通するか試してみると言う実証ぶりなのである。
 また軍用兵器の特集だったら、動いている映像はもちろん、実際に乗っている視点からの映像やら、テスト中の恐ろしくレアな未公開画像を公表してくれるのだ。
 しかし、ディスカバリーチャネルも残念ながら物足りない点が一つある。それは西側欧米圏で作っているから仕方のないこととはいえ、取り上げられるもののの大半は欧米圏のものだと言う事である。そのため欧米圏以外のものは全く取り上げられないものが多数あるのが、何とも残念でならないのだ。特にこの番組では軍事・宇宙開発関連の番組が充実している分、この番組のソ連版があったらなあといつも残念に思っていたのである。

 しかし以前、宇宙開発史のオフ会で教えてもらったのだが、これとよく似た番組がなんとロシアにもあるという。しかもそれは日本から居ながらにして日本語で注文することが出来ると言うのだ。もちろん、即座に注文したのは言うまでもない。そのドキュメンタリー「忘れられた勝利の秘密」は歴史の影に隠れたロシアの軍事・宇宙技術の栄光と悲劇をつづった物語である。とにかく見て驚いたのは、そこに収録されている驚くべき技術とレアな映像である。幻の有人月探査船LKとそれを打ち上げるために作られたアメリカのサターン5型ロケットよりも大きい「N-1」、旧ソ連のICBM、SSシリーズの製造工場と打ち上げ用地下サイロと打ち上げシーン、ソ連版バルキリーと言えるマッハ3で飛ぶ巨大超音速爆撃機「T-4」の飛行シーンなどまさに驚くべき映像の宝庫なのである。しかもレアなのは映像だけではない。内容もディスカバリーチャネル真っ青の詳細な取材に基づいた密度の濃いもので、旧ソ連軍事・宇宙ファンなら噂には聞いた事件・人物などが映像も交えて解説されている上に、昔だったら決して公開されなかったような事故や失敗も包み隠さずに収録されているのである。
 唯一最大の難点はナレーションが全てロシア語のみと言う点だが、こうしたジャンルが好きな人ならその超レアな映像だけでも入手しても惜しくないことは保証する。それにしても一昔前なら、こうした映像は例えソ連内部でさえ誰も見ることは出来なかったものが、今ではこうして誰でも買えるのだから良い時代になったものである。

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February 15, 2006

バンコク外国語事情

 さていろいろタイのバンコクの話を書いてきたわけだが、現地のコミュニケーションはどうしていたかというと「英語」を使ってきたわけである。それにしても久しぶりに話してみるとすっかり英語も錆び付いていて初日はどうしようかと思ってしまった。なんと言ってもヒアリングが全然ダメになっているのだ。まあ、半分は向こうのタイ語訛りの影響もあるのだろうが、それにしたってホテルでは欧米人は全然問題なく話しているのに、自分では大まかな意味をつかむのが精一杯と言うのはやはりヒアリングがなってないに違いない。後半、紙とペンでスペルを確認したり何度も聞き返したりして確認するようにしたが、何のことはない全部知っている単語ばかりなのだ。これでも、一応最低限錆び付かないように語学の勉強を続けてきたつもりだが、いったい何をやってきたのやら。
 ガイドブックによるとタイは日本並みに英語が通じない国だと言うことだが、少なくとも私が話した観光地の店員やタクシーの運ちゃん、そして現地の大学生達は皆、私より遙かに上手い英語を話していた。やはり英語は世界帝国の言語らしく、ほとんどの国で通じるようである。それしても、私が学んでいるもう一つの外国語であるロシア語はいったいどうしてしまったのだろう。かつてはアメリカと世界を2分していた筈なのに、ロシア語言語圏は遙かに狭いままなのである。(それでも現地ではロシアからのツアーが現地のロシア語を話せるガイドに連れられて回っているのに遭遇した。密かに便乗してついて回ったものの、ガイドさんの言う簡単な説明や「あれを見てください」などは分かるものの、ロシアのツアー客同士の会話は聞き取ることが出来なかった…)

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February 14, 2006

唐辛子の恐怖

 再び仕事に復帰したもののおなかの調子がなかなか元に戻らない、不思議なのは現地では屋台も含めてあれほど飲み食いしていたにもかかわらず何ともなかったのに、戻りかけたとたんに具合が悪くなることだ。もしかしたら、日本に戻りたくないという無意識の現れなのだろうか?
 ただ症状的にはおそらく以前唐辛子にやられた時に似ているので、今回も同じ理由じゃないかと思っている。そう、向こうの料理の油断ならない点は傍目にはシシトウのようにも見える、小さな青唐辛子があらゆる料理に入っていることである。日本では辛い物好きの自分でも、さすがにタイ人にはまだとても及ばないらしく、現地ではなるべく辛い料理はさけるようにしていたのだが、最終日に食べた炒め物にさりげなく入っていた唐辛子をそれとは気づかずまるまる1個食べてしまったのが敗因だった。また、この手の青唐辛子は食べた瞬間はさほど辛くなく、時間差で辛さがくるものだからたまらない、結局気づいたときには手遅れになってしまうのだ。そういえば昔、ベトナム料理店の食事でもグリーンサラダ(!)に刻んだ青唐辛子が混ざっていて散々な目に遭ったのを思い出した。緑色のものの中に、青唐辛子を入れるのは反則だと思う。

 それにしても、向こうではビールなどの嗜好品は別とすれば食べ物は驚くほど安く、レストランでも庶民的な店なら100数バーツ(1バーツは約3円)、屋台なら30バーツくらいから食べられる上に、結構どこでもおいしいのはありがたいのだが、さすがに毎日食べると飽きるものだ。自分は何でも食べられるのが自慢のつもりだったが、そこはやはり日本人の性なのかもしれない。

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February 13, 2006

タイの眠り

 タイを旅行中感じたのは、昼間は暑くて仕事にならないからだろうか。至る所で昼寝をする人を見かけたことだ。
そして眠るのは人間だけではない、ちょっとした木陰や寺院の中など至る所で人間よりもよく見かけるのが、昼寝をする犬である。ガイドさんの話によるともともとタイでは犬好きの人が多いせいもあり、また人もそうだが犬はさらにのんびりしているのか、道の真ん中で寝ていても誰も恐れることもなく、踏まれもしなければ追い立てられることもなく寝ていられるようだった。

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 写真はその中で、タトゥーのお店(なぜかタイでは観光客向けのなんちゃってタトゥーのお店が至るところにあり、白人連中がいろんな所に入れてもらっているのだが)のメニューの下で我が物顔に寝る犬と、寺院の隠れた隙間で眠っていた子犬たち。そしてカオサンロードの洋服&生地屋さんの商品の中に埋もれて寝ていた少女のカット。みなとても気持ちよさそうに寝ていて、不眠症気味の自分には羨ましい光景だった。

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February 12, 2006

何とか日本にたどり着く

 ようやく日本にたどり着いた。今回は出発も雪に祟られ波瀾万丈気味だったが、案の定帰りの便もまた交換部品が届かないとかで出発が遅れ、もともと深夜発だったのがさらに送れて0:00を過ぎ本当の真夜中になってしまった。
その上、向こうで何を食べても平気だとばかり飲み食いしていたら、水ではなくて唐辛子に負けたらしくおなかの調子も優れないと言う、最後まで強行軍になった訳だが、なんとか日本に無事(?)たどり着くことが出来た。
 まだまだネタはいろいろあるのだが、さすがに旅行ネタばかり書くと当人もおなか一杯なので、また気が向いたら旅行の話は整理して補足することにして、次からは平常の話でも書いてみたいと思う。
 それとようやく写真をアップ出来るようになったので、前の記事にも隙を見て写真を追加していくつもりである。

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February 11, 2006

ようやく勝手がわかってきたが(タイ旅行編)

 早いもので今日でバンコクの最終日。移動日も含めると5日間もいたわりには本当にあっという間だった感じがする。まあ、実質は4日足らずだからそんなものなのかもしれない。
 最終日になってようやく勝手がわかってきて、現地の高架鉄道BTSを乗り継いで移動したり、ホテルの近所に安くてうまい店を見つけたりしたのだが、いかんせんもう帰国である。今日は帰国の便を遅くしたので一日観光にでも当てようかと思っていたのであるが、うかつにもチェックアウト後の山のような荷物を持って移動する羽目になることを忘れていて早くも計画は頓挫しつつある。
 仕方がないので、とっとと空港にでも行って荷物をあづけるかして身軽になってから予定を考えてみたいと思っている。
 さて飛行機が飛ぶ深夜までどうしたものだろうか。

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February 10, 2006

力いっぱい観光3日目にダウン

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chaophraya
 本日でバンコクも4日目。初日は移動日なので実質は3日目と言うことになる。
で題名のように本日はすでにグロッキー気味で、アユタヤ遺跡とチャオプラヤー川クルージングとあまりヘビーじゃないものを選んだつもりだが、集合時間は7:50分と早くアユタヤの中を5箇所も見て回るという強行軍で、帰りのクルージングではすでにグロッキー状態だった。おまけに前日は時差ぼけなのか寝つきが悪かったのに隣の部屋のヤンキーどもが馬鹿騒ぎをするもんだから、ひどい寝不足というコンディションだったのだ。それにしても連中は日本人のようにこの時間に騒いだら隣室に迷惑になるとか、そういったデリカシーを持ち合わせていないのだろうか。
 そんなわけで、今回は早々にホテルに戻って寝ることにしようと思っている。

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February 09, 2006

バンコク強行軍

 本当は写真をアップするのが一番いいのだろうが、とりあえず文章だけで状況を防備録代わりに書いておく。
先日と今日で回った先は次のとおり。

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wat_phrakeo
・王宮
初めて行ったので他と比較はできないが、いろいろ見て回った中では一番の見所。なんといっても見所満載で、きちんと見て回れば半日くらいは過ごせるのではないだろうか。ここは王室関係の建物ということもあって服装チェック(といってもそれほど厳しいものではない、短パンやノースリーブでなければ大丈夫だろう)があるので注意が必要だ。

・ワット・プラケオ
別名エメラルド宮殿。王宮のすぐそばにあり一緒に見て回れる。その名のとおり美しい宮殿。タイのこうした寺院や宮殿はみな仏教(ただしタイは日本と違い上座仏教)建築だが、日本の普通の寺院と違い常に塗りなおし立て直しているのと、色使いが金や白、赤が中心なので、南国の日差しとあいまっていわゆる辛気臭さはかけらもないところが大きな違いだろう。だが、ここに限らずどこの寺院でも参拝する現地の人は後をたたず、やはりタイは仏教国であることを痛感させられた。
ほかにもいろいろ見て回ったが思った以上に文が長くなりそうなので、とりあえず寺院はここまで。
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ちなみに先日はカオサンロードのインターネットカフェから書き込んだが、今日になってホテルのそばにもインターネットカフェがあることが判明して、もう少し書き込みが楽になりそうである。

それにしてもこの国を回れば回るほど、ここの人たちの親切さとアバウトさを痛感させられた行程だった。なにせ聞く人ごとに親切に寺院の場所やオープン時間を教えてくれるのはいいのだが、その時間がひとによってまちまちなのだ。あと、行き先を聞くと「いやそこよりももっと○○の方がいいぞ」と言ってくれるのはいいのだが、おかげでいまだにたどり着けない所が残っている。そこも一応ガイドブックにのってるんですが、現地的にはいまいちなんでしょうか?

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February 08, 2006

なんとかタイにたどりつく

 何とかタイにたどりつき、今はバンコクをぷらぷらと見て回っている。
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一時は出発時に雪が降るは、飛行機の中で風邪を引いてしまったらしく飛行機の中から初日にかけては具合が悪くて大変だわとどうなるかと思ったのだが、一晩休むと熱も下がって体調も元に戻り、ほっと一息ついているところだ。
それにしても、今回は準備期間もほとんどない強行軍だったが、国際ローミングで日ごろ使っているPHS(京ポン2)もそのまま現地で使えるし、こうしてインターネットカフェでネットにつなぐことすらできるからずいぶんと便利な時代になったものだ。
 さてタイの感想だが、あまりにも情報量が多すぎて何から書いていいかわからないのだが、今は時期的に一番いい季節だったらしく思ったよりも快適な気候だった。日差しはかなりきついのだが、風が涼しいのがありがたい。
行程の方は初日はまったく違うホテルに自信満々で連れて行かれたり(あまりに自信満々でホテルのフロントと話すまで気づかなかった)して向こうの親切だけどアバウトなところに早速初日から振り回されている感じだが、まあなんとかやっていけそうである。ただ文字がまったく読めないのは大変かもしれない、街を歩いていてもサインはあるのだが読むことができないので結局同じところをぐるぐる回ったりして、道に迷ってしまうのだ。
 さて明日はどう過ごそうか?

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February 07, 2006

波瀾万丈の旅立ち

 いまこれを書いている時点で未だにホテルが決まってない状態なのだが、さらに天気予報だと今朝の出発に合わせてちょうど雪が降るらしい。そうでなくても朝早い便で間に合うか心配なのに、交通機関はもとより飛行機さえ飛ぶか怪しくなってきた。
 思えば私は強力な雨男なのか以前、台湾に行ったときにも1月以上も雨が降らなかった台北に雨をもたらしたり(この話をしたガイドさんには感謝されつつ大受けだった)、友人とキャンプに行くと台風が来たりする。どうも波瀾万丈の運命は旅行先までも付いてきそうである。

追記:その後何とかホテルは決定した。

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February 06, 2006

しばらくタイに逃走する

 前回書いたように突然に決まった休みだが、性懲りもなく今回も海外に脱出することに決定した。
とはいえ、休みが決まったのが先週の金曜日でそれから探しても行けるところは限られている。まず時期的にヨーロッパ圏など北の方は論外だ。いくらロシアネタ好きでロシア語学習者の私でも氷点下30度以下で連日凍死者が出ているモスクワに行く勇気はないし、ましてやそこよりも日本に近い極東ロシアやシベリアはさらに寒いときているのだ。また準備時間から見ても行けるところは限られている。中国などのピザがいる国はとうてい間に合わないし、英語圏もハワイはとっくに飛行機がふさがっているのだ。
 そんな訳で消去法で消していくと、行けるのは韓国・台湾・香港・グアム・そしてぎりぎりで東南アジア諸国がいくつかはいるくらいだろうか。しかし台湾は以前行ったし、韓国は寒そうだ。結局いろいろ考えて最終的な候補地になったのがタイである。ここなら物価もやすそうだし、英語は通じないもののバックパッカーのたまり場なので行けばなんとかなりそうだ。それに将来日本の社会保障制度が崩壊したときに脱出先の候補地でもあるし、今から行っておくのも悪くない。
 さて、なんとか土曜日のうちにH.I.Sで航空券だけは押さえることに成功したので、残る問題はホテルだけである。今はインターネットの普及のおかげで多くのホテルが日本からも予約できるので高をくくっていたのだが、いいざ連絡してみると思ったよりも満室の所が多いようだ。そうこうしているうちにも出発までに残された時間は刻一刻と無くなっていく。どうやら今回は最悪、現地に着いたらバックパッカーの聖地「カオサン・ロード」へGoと言う事になるかも知れない…(笑)。

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February 04, 2006

とつぜんの休暇

 ゲーム会社の休みはいつも突然にやってくる。それはマスターを納品してもバグチェックが通るまで仕事から解放されないからであり、その間はディバッグをしながらいつ来るか分からないバグレポートに備え、来たら即座に修正しなくてはいけないからである。そしてそれはバグが見つからなくなるまで繰り返されるのだ。
 そのためいつも休みはある日突然やってくる。納品先から「もうバグが見つからなくなりましたのでマスターを通します」と言う通知をもらって初めて休むことが出来るのだ。おかげでゲームの仕事に関わって以来、きちんと予定を立てて休みを過ごしたことがない。ひどいケースではやっていた仕事が突然中止になって明日から2週間会社に来なくても良いからと言われた事すらあるくらいだ。まあそれでも休んでいる間、ギャラが出るのはまだましな方だろう。ひどいときは1月以上も仕事がはっきりしないまま放置されて、体よく干されたのでは無いかと思ったケースだってあるのだから。
 そして今回もようやく1週間の休みが突然にやってきた。毎回、休みのたびに海外に行くのが習慣になっているのだが、今回はさすがに突然すぎてちょっと途方に暮れている。だがこれを逃したら再びいつ休めるか分からない。よく考えて有意義に過ごす計画を立案中である。

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February 03, 2006

デザイナーの仕事のあり方(個人制作の限界)

 昨日は久しぶりにltlさんと夕食を食べて有意義なひとときを過ごしたが、その時に出た話題のひとつデザイナーの仕事のあり方で結構思うことがあったので書いてみたい。

 私がインテリアデザインからCGデザインを仕事の中心にした理由はいろいろあるが、その中の一つが仕事の初めから終わりまで全て自分で自由にコントロール出来ると言う事だった。もちろん、仕事となるとクライアントの要求や納期や予算などの制約は発生するものの、バーチャルとはいえ一つの世界を自由に構築できる魅力は当時の自分にとってはとても魅力的だったのだ。しかし、時代は流れて今やっている次世代機用のゲーム制作では自由に動き回ることが出来る、まるで本物のようなリアルな世界を作ることが出来るものの、あまりにも作るものが多い上に開発費の高騰によって、いつのまにか本物の都市開発とまでは行かないもののちょっとした映画以上に多くの人が関わるようになってしまい、とてもじゃないが一人で全部を見ることは不可能になってしまった。
 そうなると現場で各パートごとで直接制作に関わるか、全体を見る代わりに実際の制作にはタッチしないかのどちらかを選ぶしかない訳だが、私のように細部まで見つつ全体もタッチしたい人にとってはそれは結構フラストレーションがたまる事なのだ。
 だが残念なことにこれはゲーム制作に限らず、多くの分野で当てはまることらしい。今やWebページ制作においてもオンラインショッピングサイトなどの高度な機能とセキュリティを要求されるようになって、ちょっと複雑なページではとてもじゃないが一人で全部を作るのは難しい時代になっているという。そういわれて見渡してみると、もう個人で全部を作り出すやり方で仕事をする時代は終わりつつあるのかも知れない。数少ない例外と言える方も知っているが、その殺人的な仕事量を見るとかえってその思いは強くなるのだ。
 自分で細部まで制作に関わりつつ、時代と共に大規模化する仕事に対応し、かつ過労死しないような仕事量に抑えること、この3つを両立させるのはなかなかに難しいが、それでなにか手はないかもう少し悪あがきして見たいと思っている。

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February 02, 2006

引っ越し疲れ

 本日は仕事場の引っ越し。それにしても良くもまあ仕事場の机にこれだけのものがあるものだと我ながら感心するくらい、本やらCDやらに満ちているものだ。おかげで荷物を運んでマシンを再設定するだけで一日仕事になってしまった。
 机の周りですらこれだから、本当の引っ越しとなったらさぞかし大変に違いない。今住んでいる一戸建てを借りたときには一人では絶対に荷物があふれることは無いだろうと思ったものだが、いつの間にか手狭になっているのだから恐ろしいものである。

 これだけでは単なる日記なので、引っ越し時に見つかった大昔の仕事の覚え書きを書いておく。内容は今となっては本当に初歩的なアニメーションの演出上の注意なのだが、結構重要かつ応用も効くことなので何かの足しになるだろう。特にゲーム制作やCGムービーを作る時に嵌りがちなので気をつけたいものだ。

回転するプロペラなどのアニメーションをつける場合、1フレーム当たりの回転する角度は45°以下でなくてはいけない。例えばちょっと想像してみれば分かるように90°などでは毎フレームが全く同じ位置になってしまって意味がないし。45°以上ではどちら側に回っているか見るものに分からないからである。
さらに45°以下の場合であっても1フレーム当たりの回転角はフレーム数で割り切れるような値にしてはならない。もし割り切れる角度にしてしまうと一定のコマごとに同じ角度に見えてしまい、フレーム数が無駄になってしまうからだ。またこれがフリッカーの原因にもなってしまう。

なおこの現象はプロペラやタイヤのような回転するものに限らず、連続した模様のあるトンネルの中を進むと言ったシーンでも発生するので注意が必要だ。

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February 01, 2006

心残り

 前書いたようにこれまでやっていた長期のプロジェクトの契約が先月で終了した。幸いにして別のプロジェクトで人を募集していたのでそちらに移ることが出来たのだが、とても心残りなのは今のプロジェクトの完成を見届けられなかった事だ。
 思えばこれまで関わってきたプロジェクトは、ほとんどのものに最後まで付き合ってきた。やっている最中は終わりの無さに嫌気が差していても、振り返ってみれば最後まで関わることが出来たのは幸運なことだったのだろう。どの仕事でもプロジェクトが巨大になっていくと、最後まで関わるどころか、自分のやっているパートが全体のどの部分で、どんな意味を持つのかすら分からない事だってあるからだ。場合によっては秘密保持のためにわざとその仕事がどんな意味を持ちどんなものになるのかすら教えてもらえない事態すらあるだろう。そうした仕事—自分のやってきたものがどうなるのかも教えられないままに働くと言うのは、つらい事に違いない。
 それにしてもこれまでずっとプロジェクトの最後まで付き合っていたものだから、いつの間にかずっとそこにいると思いこんでしまっていたらしい。だがどんなプロジェクトでも、いやもっと重大なことで、例え自分が必要不可欠な立場にいたとしても事故や病気のような予期せぬ事で突然そこから降りなくてはならないこともある。日頃、当たり前の様に今日の延長としての明日は来ると思っている。だがそれが来ない時にも備えておかなくてはいけないのだろう。

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