皮肉な話(リテラシーのあり方について)
皮肉な話だが昨日取り上げた「自己愛型社会」は以前のエントリーで批判した「脳内汚染」と同じ著者が書いたものである。正直な話あまりに双方の評価が自分の中で違うので未だに同一人物が書いたとは思えないでいるくらいだ。だがこうした話は良くあることだ、歴史上の偉人が実はとんでもない性癖の持ち主だった例はいとまもないし、あるジャンルで素晴らしい業績を上げたからと言って、他の分野で素晴らしいとは限らない。もちろんこれはネットでも当てはまる。アルファブロガーと呼ばれる人たちでさえ、あるジャンルでは無知や偏見むき出しのエントリーを書いている例はいくらでもあるのだ。
しかしネットの言論を見ると潔癖な人が多いのか、ある特定の著書や言葉尻をとらえてこうした事を言っているから○○の言うことはすべて信用できないと言う意見をよく目にする、また逆にある人物の信者と化してしまい無条件にその人物の言うことを鵜呑みにしているケースもあるようだ。だが聖人君子でもないのだからすべての言説が正しい人はいないだろう。要はその中で正しいもしくは有用だと思える内容を選び出せば良いだけの事だと思うのだ。
もちろんこうした当たり前の事こそ実践するのは難しいのは分かっている。だがせめて目標はこうありたいものである。
Comments
すみません、また勝手にリンク貼らせて頂きました。
>当たり前の事こそ実践するのは難しい
ホントに、そうですね。
私などは自分の中にしっかりとした指針が無い為に、
色んな意見に振りまわされてしまいます。
しっかり考えなくてはいけないです。
Posted by: かおる | April 23, 2006 05:11 PM
こんにちはかおるさん。本文中でえらそうな事を書いてますが、あたりまえな事が実は一番難しくて自分も言うほどの所までいたりません。でも振り回されてもいいからせめて寛容さは持ちたいなと思っています。
Posted by: doku(fukuma) | April 24, 2006 01:00 AM