デジタルデーターの寿命
デジタルデーターは劣化しないから作ったものは半永久的に残ると言う通説がある。これはある意味では本当だろう。たとえマスター媒体が壊れてもデーターはいくらでもコピー出来るしそれ自体は永久に残るからだ。皮肉なことにその効果がもっともよく現れているのが最近話題のWinnyなどで流出してしまった個人情報だろう。だが全てのデジタルデーターがそうだとは限らない、例えば昔のゲームソフトなどを取材などで探そうとすると、パッケージはおろか動いている画面すらどこにもない事があるという。作った会社自体が無くなって散逸していると言う場合も多いが、それ以外に多いのがプラットフォーム自体が無くなってしまって動かすことが出来ないというものだ。もちろんファミコンなどではいくら何でも残ってないことなどないだろう。だが初期のパソコンでマイナーな機種だったり、専用ハードで動くアーケードゲームでは、どこを探しても動くマシンが無いと言うのは珍しくはない。
これと似た話で自分に身近な例ではCGソフトのデーターと言うのがある。CGソフトは進化が早い上にソフトの移り変わりも早かったせいもあり、未だに共通データーと呼べるものがないのが実情だ。そのせいもあるのだろう、せっかく作ったデーターでも何年かたつとそれを作った会社が無くなったり、甚だしいときには自分の製品なのに古いバージョンのデーターが読み込めなくなってしまったりして、使えなくなってしまうことがある。
私自身もそんな訳でたとえ愛着のある作品でも、わずかなカットとプリントしか残っていないものもある。
半永久的に残るはずのデジタル上の作品でも、その寿命はわずか10年足らずに過ぎなかったのである。
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