世界の反対側にある地獄
大分昔、まだBlogを始める前に自分のWebでグローバリズム(あとから思えばネオリベラリズムの方が適切だった)を揶揄する小話を書いたことがある。どうせ誰も見てないと思うので採録すると以下のような話である。
そこは昔は魚が豊富に捕れる湖があって、そばにある村も十分に潤っていました。しかしあるとき外国から来た資本家がもっと豊かになるためにエンジン付きの船と網を使った漁法を勧めました。漁師はその話に乗ってみることにしました。すると確かにたくさんの魚が捕れたちまち豊かになりました。しかし、漁師がたくさん魚を捕った分だけ他の漁師は魚が捕れなくなりました。
やむなく他の漁師も船と網を買い、対抗して魚を取り始めました。
すると対抗上、もっと魚を捕るためにはさらにたくさんの船を買わなければなりません。その軍資金を得るためにも、また食べるにも売るにも多すぎるくらい捕った魚を高く売るために、資本家の薦めに従って今度は新たに魚の加工場を始めることにしました。
周りの漁師もさらに対抗するために加工場をつくりました。
こうして競うように魚を捕り合ううちに、たくさん捕れていた魚はだんだんと乱獲がたたってとれなくなってきました。漁師たちはさらに船を増やして魚を捕ることにしました。
魚はさらに数を減らしていきました。さらに悪いことに魚の加工場からの排水で魚に限らず湖の生き物はどんどん数を減らしていきました。
漁師たちが気がついたときには既に手遅れでした。彼らに残されたものは捕るべき魚のいない汚染された湖にあるたくさんの船と加工場、そして膨大な借金だけでした。
今となってはどこでこの話を聞いたのかそれとも自分の創作だったのかすら覚えていないが、現実は常に想像の上をいくものらしく、これよりも遙かに悲惨で恐ろしい事が起きていた。それがタンザニア第二の都市ムワンザを舞台にしたドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」で書かれている出来事である。すこし長いが翻訳家・評論家の柳下毅一郎氏による評論が秀逸なのでそれを引用して紹介したい。
「世界の反対側にある地獄」
これは地上における地獄の記録である。タンザニア大使館は本作の公開にあたり、国のイメージを損なうものだと抗議したという。
それだけの恐怖が、この映画には含まれている。もっと恐ろしいのは、その地獄は我々が住んでいる場所とも地続きだということだ。
このドキュメンタリー映画の主役はとある魚である。ある一種類の魚が人々の生活をいかに変えてしまったが語られる。舞台はアフリカのタンザニア。アフリカ最大の湖ビクトリア湖は多様に種分化した魚類も豊富な「ダーウィンの箱庭」として知られていた。
だが、約五十年前に、何者かがナイルパーチという肉食魚を放った。体長2メートル近くまで成長するナイルパーチはたちまち湖の魚を食い尽くしてしまう。ビクトリア湖周辺にはナイルパーチの加工工場が立ち並び、白身魚ナイルパーチは世界中に輸出されタンザニアに財貨をもたらした。日本にも輸入され、一時期は「白スズキ」という名前でも流通していた。コンビニ弁当についてくる「白身魚フライ」として、あなたもナイルパーチを食べているかもしれない。
ナイルパーチによる繁栄の裏で、その富に無縁の人々は地獄のような暮らしを送っている。工場から出る魚のあらを食物に加工するため、アンモニアガスがたちこめる腐敗した生ゴミの山をかきわけ、裸足で 働く女たち。加工したナイルパーチを運ぶためヨーロッパ各国とのあいだを往復する飛行機目当てに空港にたむろする娼婦たちのあいだではエイズが蔓延している。ホームレス少年たちは空腹をまぎらわすために発泡スチロールを燃やしてガスを吸い、死んだように眠る。安月給のガードマンは隣国との戦争を待ちのぞんでいる。 「戦争になれば、軍隊に入っていい給料がもらえるのに……」と。
この映画に悪人はでてこない。この地獄はみながいい暮らしを求め、そのために努力した結果生まれてしまったものなのだ。そして、この地獄は決して他人事ではない。これは我々の日々を形作るグローバリズムについての映画である。グローバリズムとは、世界の反対側にある地獄と、我々の生活がひとつにつながることなのだ。
(柳下毅一郎。12/21朝日新聞夕刊芸能面より)
関連Link:愛・蔵太の少し調べて書く日記-ドキュメンタリーはノンフィクションなのかについて映画『ダーウィンの悪夢』で考える
映画に書かれている内容の真偽の検証。映画にしてもTVで放映されるドキュメンタリーにしても、単純な社会正義だけではメシが食えない実情がある以上、演出されている部分はどうしても出てくると言う指摘は鋭いと思う。
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