忙しかった時を振り返る
今年も余すところあと一日になってしまった。振り返ってみると今年は時間泥棒にとりつかれたかのごとく常に時間に追われていたような気がする。とにかく一日が短いのだ。仕事のある日も無い日も、落ち着いて何か考え事をしたり、ゆっくりと本を読んで過ごす暇もなく。やるべき事を退治しているだけで一日が終わってしまう。効率が悪いのか、それともやることが多すぎるのか。
過去を振り返ってみると同じように猛烈に忙しかった時期が何回かあった。一つは大学の後半でアルバイト(当時からCG関係でアルバイトしていた)と語学(以前書いたGDM、しかし外国語は本当にいつまで経っても上達しないものだ)教室を掛け持ちし、一日に高尾-横浜-新宿を往復する生活をしていた時期。このときは若さで押し切ったものの四六時中眠くてたまらなかった記憶がある。
次は何回かの仕事のピーク時で、一番ひどいときはあまりの泊まり込みの多さに「ホテルを取れ!」とぶち切れたら、そのまま仮眠用にホテルが確保され、結局そこで仮眠とシャワーを浴びる拠点としながら一日3時間くらいの睡眠で何ヶ月も生活したものだった。
しかし振り返ってみると、なんか今の忙しさとは感じが違うのだ。当時は忙しくても何らかの「成果」のようなものがあり充実感があったのだが、今は何者かがこっそりと時計を進めているような感じで、単に気づくと時間だけが過ぎている感じなのである。
周りに言わせるとそれが年をとったと言うことらしいのだが、そもそも生理的な変化だけでこれほど時間の感じ方が変わるものなのだろうか? 私は時間の感じ方には生理的な影響もあるだろうがそれよりは環境の影響が大きいのではないかと思っている。そういえば鈴木宗男関係で逮捕された佐藤 優氏の獄中体験記「獄中記」によれば、逮捕されて初めて思索と勉強に励む時間的ゆとりを得たと書かれているのを思い出した。何でもそのときの精神的なゆとりの快適さは、出獄後も同じような部屋を勉強部屋として作りたいほどだったという。
ここまで極端ではないけれど、確かに入院して初めてほっとしたと言う話は結構頻繁に耳にする。日常の生活や雑事に追われている限り、ゆったりとした時間を感じることは出来ないのかも知れない。
Comments
昨日は本当にどうもありがとう。
去年に限らず、いつもお忙しそうな印象だけれど、
でもそんな一年の最後の最後の一瞬の隙をついて足を運んでくれてありがとう。
会えてうれしかった。
今年もまたよろしくね。
あけましておめでとう。
Posted by: 玉子 | January 01, 2007 01:00 AM
こちらこそあけましておめでとうございます。
また展覧会をやるときは教えてください。
Posted by: doku(fukuma) | January 01, 2007 02:42 PM