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February 14, 2007

私が経済学を疑う理由

 この前書いた「はてな」を中心に盛り上がっている経済ネタだが、今度はその前提となる用語の解釈で議論が起きているようだ。詳しくは下の関連Linkを見て欲しいが、経済学を扱っている人同士ですらこれだけ意見の違いが出てくるのを見ると、経済学に疎い自分などはどう判断すればいいのかと言う気持ちになってしまう。正直なところ暴論を承知で言えば、経済学者の提言に従って国家経済を運営すること自体がギャンブルのような気がしてならない。
 事実、ソビエト連邦が崩壊して市場経済を取り入れ始めた時、アメリカの経済学者達は熱心に提言を行い、エリツィン政権も熱心にそれを取り入れて改革を行ったのだが、結果は燦々たるものだった。このときロシアでどのような経済政策が行われたのか、まずその成り立ちを経済企画庁(現:内閣府)の平成3年度の年次世界経済報告書から引いてみよう。

 急進改革派経済学者でロシア共和国前副首相のヤブリンスキーは,ゴルバチョフ大統領とエリツィン議長の後押しを受けて,アメリカのハーバード大学グループと合同で急進的な経済改革案(いわゆるハーバードニヤブリンスキー案)を策定した。この案は,西側から年間200〜350億ドル程度の金融支援を今後数年にわたって見込んだものであった。
 同案を基本にゴルバチョフ大統領は7月17日,ロンドン・サミットに出席していた先進7か国首脳との会談に臨み,支持を求めた。これを受けて,先進7が国による6項目の対ソ支援策が表明されたが,同大統領が期待していた大規模な金融支援は見送られた。ロンドン・サミットで西側からの金融支援取りつけに失敗したゴルバチョフ大統領と急進改革派に対し,保守派は,ソ連を屈辱と借金漬けによる破滅に追い込む′ものとして,厳しい非難を浴びせた。
(注:この後ロシア経済政策は経済の悪化とともに迷走するが、基本的には常に急進改革派経済学者達がリードしていくことになる)

このようにして始まった経済改革だったが、その結果は悲惨なものだった。当時のロシアがどのような状態だったかは太田述正氏のコラムに数値が挙げられている。

(その結果)当時のロシアでは、国民の75%が貧困水準以下か貧困水準ぎりぎりの生活をしており、学齢期の子供の10~80%が肉体的ないし精神的欠陥を抱えていました。また、男性の平均余命は60歳未満にまで落ち込んでしまっていました。

 おかげでロシアでは当時こんなジョークが流行ったという。

アメリカの軍事パレードで多くの戦車や戦略ミサイルの行進の後、スーツを着た男がアタッシュケースを下げて行進した。
そして次のようなナレーションが流れたと言う。
「最後にロシア・日本を瞬く間にずたずたにしてしまった世界最強の兵器、経済学者の行進です」

 そう、ちょうどこの頃は日本もバブル崩壊で経済はがたがただった。このアネグドートのように日本の経済を駄目にしたのがアメリカ流経済学だったのかは判らないが、少なくとも経済学の理屈道理には現実は回らないようである。


関連Link:
生産性の話の基礎
生産性をめぐる誤解と真の問題
それでも賃金水準は平均的な生産性で決まるんだよ。

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Comments

>正直なところ暴論を承知で言えば、経済学者の提言に従って国家経済を運営すること自体がギャンブルのような気がしてならない。

これは現実にあたってるね。

Posted by: 経済学 | February 16, 2007 at 09:52 PM

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