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March 09, 2007

そして善意を行う者はいなくなった

 最近、医療訴訟が増えている。しかもHarvard Medical Practice Studyの結果によれば(参考)、医療訴訟が起きる・起きない、またその勝敗は、医学的検討による正否とは全く相関せず、賠償額との相関がみられたのは、唯一、「患者の障害の重篤度」だけであるという。つまりどんなに最善を尽くし良心的な処置をしても患者が死んだり、障害を負えば訴えられる事がある訳だ。
 残念ながらこれはすでにアメリカだけの事でもなく、しかも医療分野に限ったことでもない。ボランティアで子ども会の引率を引受け行き先で子供が水死した事件が以前あったが、この事件では民事訴訟が起こされて膨大な賠償金を払う事を命ずる判決が下りている。またアメリカでは家庭用プールを販売する会社は全て無くなってしまったが、これも訴訟リスクがあまりに大きいために割に合わないと皆、撤収してしまったからだという。
そして冷静に考えると救命行為やささやかな善意は益々割に合わなくなっている。下手に子供に声を掛けると通報される恐れがあるし(冗談のようだが、本当に道に迷った子供を連れて歩いたところ逆に誘拐の疑いを掛けられて拘束されたと言う事件が以前あった)、またサッカーのコーチが試合中に落雷があって、予見出来た筈だとされて損害賠償を請求された事件もあった。そして学校の水泳当番を受ける人がいなくなり、夏休みの学校のプールは閉鎖され、公園のブランコや滑り台は危険だからと言う理由でどんどん撤去が進んでいる。
 それでもまだアメリカなどではこうした事態に対応するために「よきサマリア人法」と言う免責事項が存在する。善意から行った行為に対して訴訟リスクを避けるための法律だ。最初にあげたような状況はやはりまずいと思われているのだろう。しかし日本にはこうした法律は存在せず、善意の行為でも結果が悪ければ常に賠償や下手をすれば逮捕の危険に満ちている。
 こうして善意や救命活動を行う者はいなくなり、全ては警察や公務員の仕事となるのだろう。そう彼らだけは免責を約束されているからだ。富山県警が2002年、同県氷見市の男性(39)を婦女暴行容疑などで誤認逮捕した冤罪(えんざい)事件でも取調べで「はい、以外言うな!」と強要したと言うずさんな取り調べにもかかわらず、警官の処罰は無かったし、志布志冤罪事件でも「逮捕を繰り返せば、諦めて認める。事件は無いけれど、挙げた手は下ろせない」とまで言っていた程の滅茶苦茶な捜査であっても処罰は本部長注意や訓戒と言ったものでしか無かったのである。
 どんな些細なことでも人々は関わらず、ちょっとした事でも警察が呼ばれる社会。ますます住みにくい世界に向かって私たちは進んでいる。

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