趣味なのか修行なのか
最近聞いた話でソース不詳なので話し半分に聞いて欲しいのだが、スキーのような最初にトレーニングが必要な趣味は今では流行らないものらしい。それが本当だとしたら今、私がやっている趣味の多くは流行らないものと言えるだろう。習得が難しいと言われるラジコンヘリはもちろん、ロシア語の学習に至っては自分でも何でやっているのか判らない有様なのだ。まあ確かに何かを身につけるというのは面白いのだが、実生活で役立つ可能性も低そうだし、何より時間がかかりすぎる。何でも真の語学の達人クラスになると常人なら最低4年はかかる外国語の習得を僅か6ヶ月で出来るそうだが、自分などロシア語で4年以上、英語に至っては義務教育を含めると20年以上はやっている筈だが、いつになったら物になるのか未だに見当すら付かないのが実情だ。
いつの間にか愚痴になってしまった。話を戻すが自分のように半分修行と化した趣味をやり続ける人間というのはどんな動機でやっているのか不思議に思う人もいるかも知れない。自分の場合は以下のような理由があげられる。
・そもそもやり始めたのだから途中で止めるのがもったいない
この時点で既に趣味ではなくなっている感じがするが、こういうタイプの人は多い気がする。
・例え趣味でも資格を取るとか、それなりの成果が無いと気が済まない。
・どうせなら仕事にして元を取りたい
もう完全に趣味ではない。しかし困ったことに私もこのタイプなのだ。そもそも趣味だったCGはいつの間にかゲーム会社で働く事になってしまったし、写真もいつの間にか友人の依頼を受け、Webページはいつの間にか会社のショッピングカート構築を受注していると言う有様だ。そして頭の中の妄想ではラジコンヘリで空撮をし、デザイン・Webの仕事を東欧・ロシアにアウトソージング化しようと思っているのだから末期的と言えるだろう。
・そもそも空いている時間を無為に過ごすのが許せない。
一種の強迫症。しかしフォンブラウンなど有名な偉人の多くはこのタイプらしい。まあ私の場合はそういいつつも気がつくとだらだらと過ごしているのであるが…
しかしこうして振り返ってみると、意外と自分もワーカホリッカー的な所があるのに驚いてしまった。これが徹底できれば偉人か(過労による)廃人になっていたのかも知れない。
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