私の普通はあなたの異常、あなたの普通は私の異常
最近運動不足解消に積極的に歩いたり自転車に乗ったりしているのだが、自分では結構長い距離を移動したつもりでも両親によると大した距離ではないらしい。と言うのも私の両親は田舎で育ったせいもあるが何でも昔は5km、10kmは普通に歩いて、しかも両方とも運動をやっていたせいもあり、今でもその感覚でいるからだ。おかげで走行距離を報告しても張り合いがないことおびただしい。これが会社の同僚だと逆に驚かれたりするのである。
似たような感覚のずれはiPodの容量でも経験した。私は元々音楽を聴かない方なので差し引くにしても、身の回りの音楽好き達によれば、iPodはclassic以外では容量不足で使い物にならないと言うのに対し、別の友人は身の回り全てのCDを入れたって決して一杯になんかならないと言うのである。
そしてこうした見解の相違はいつも「それは普通」「それは異常」と言うフレーズで締めくくられる。ごく些細な日常の事で、しかも日頃顔を合わせている友人や家族ですらこうなのだ。これでは政治や専門分野で意見の相違が無くならないのも当然だ。それにしても「普通」とはいったいなんだろう。おそらくこれまでは「サザエさん」では無いが「普通」とされるあり方をマスコミが垂れ流し、単にそれを受け入れていただけではないだろうか。しかしマスコミがマスで無くなり、好みの細分化が進む中、ますます私の普通はあなたの異常になり、あなたの普通は私の異常となるのだろう。
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