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March 01, 2009

勉強あるいは練習し続ける人々

 休日に喫茶店に行ってラジオ講座(主にロシア語)の予習をするのが日課になっているのだが、周りを見渡してみると結構多くの人たちが勉強しているのをよく見かける。もちろん学生が多いのだが社会人とおぼしき人から結構な年齢の人もその中には混じっている。彼らは仕事でやむを得ずというのを除けばどんな理由があるのだろう。あるいは何か資格を取るためなのかも知れないし、今すぐに役に立たなくても将来の投資のつもりで勉強している人もいるのだろう。
 だが私も含めて多くの人は娯楽としてやっているのではないのだろうか。娯楽としての勉強と言うと変に聞こえるかも知れないが、よく考えてみればパソコンをいじったり、スポーツをする時も、傍目からは勉強やトレーニングにしか見えない事が当人にとっては楽しい事だったりするものだ。そして本当に自分の役に立つ技能はこうした「楽しんでやっている勉強やトレーニング」でつくのだろう。
 そういえば偉人などの伝記を読むととても忙しい中で驚くほど多くの時間を勉強に費やしている話が出てくるが、本当はこれも努力や根性などではなく当人にとっては楽しみとしてやっていたのかも知れない。そう思うとこれまで雲の上に思えたこうした人たちも自分たちの延長線上にある人たちに思えてくる。
 そんな事をふと考えた喫茶店からの帰り、照明の消えたお店のショーウィンドウを鏡に見立てダンスの練習に励んでいる若者達を見かけた。そのジャンルに興味のない人から見れば遊びにしか見えない事の多くも、その内容の大半はトレーニングが多いのだろう(そういう意味では私のやっているラジコンヘリも、やってることはトレーニングだ)。
 人生一生勉強だとかスキルアップの為にビジネスマンは常に勉強し続けなくてはいけないなどと世ではやたら勉強や訓練をあおる言説に溢れているが、よく考えれば別に力むことはない、学校を出てからも私たちは意識せずに勉強や訓練し続けているのだろう。

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