いろいろ3
未整理ながら最近思うことをつらつらと書いてみる。
・以前取り上げた記事のクリップや友人のイラストレーターやデザイナーの人達と話して思うのは、これから国に代わって社会保障や共同体を担ってた会社の縛りが緩くなり、かといって国や地域の共同体としての機能が低下している中、仕事を回してもらったり、いざというとき手助けし合う為にはますます自分で人の繋がりを構築する必要があると言うことだ。
例えば中国人はこの点徹底していて、中国語が話せれば中国コミュニティの一員として受け入れられ、さらに知り合いになれば徹底的に人脈をつかって助け助け合うスタイルが成立していると言う話が新書「中国語はおもしろい」に書かれている。なにせ友人の紹介さえあれば見も知らぬ人を頼って海外に行くなどごく普通の事なのだ。これだけ書くとひどく厚かましい感じがするが、もちろんこれは一方通行のものではなく、逆にこちらから頼っても少なくとも表向きは嫌がられる事は無い。そしてここまで極端では無いものの地方の人と話していると同じような話を耳にする。例えば学校の先輩を頼って都心に出てきたり、就職を手伝ってもらったりする話は良く聞くし、自分の両親の田舎でも帰省するとたまにちょっとした話題で「ああそれなら○○さんを頼るといいよ。紹介しようか。」などと言われたものだった。当時はそれがひどく前時代的でかつ鬱陶しい感じがして嫌だったものだが、結局の所こうした繋がりが訳に立っているのである。
他にもこうした古くからの地縁・血縁で無くても新しいネットワークを上手く使っている人達も増えてきた。例えば最近ルームシェアが再び増えてきていると言う話を聞くが、これも昔のような兄弟などで住むのではなく、ネットなどで知り合ったもの同士などで割と気楽に住み始める人も多いらしい(私の周りでも何人か知っている)。確かにデフレやらなんやらで洋服代や食費は下がっているものの家賃はなかなか安くはならない中、節約するには共同生活が一番だ。外国ではここら辺が徹底していて全くの見ず知らず同士がルームシェアリングする話も聞くし、そうした相手を募集するサイトも多くある。
思えばこうした繋がりは自分の苦手とするところだった。だからこそマイペースで仕事が出来るフリーランスをしているとも言えるのだが、今更になってこうしたネットワークの必要性を感じるというのも皮肉な話である。
・@niftyのデイリーポータルZで0円ショップが話題になっている。詳しくは記事を見てもらうとして、ようは古着を0円で持って行ってもらう代わりに、カンパや食事をもらうというものだ。記事によれば好評でそこそこ回ってはいるもののやはり食っていくのは無理なので、期間限定でやるらしい。ネットの反応を見ると受けてはいるようだが、やはりそれじゃあ食えないだろうと言う意見や、こうした行為がデフレの元になるのだと批判する意見などが見受けられるが、今月の雑誌「Foresight 3月号」ではそれの更に先を行く、現金無しで14年間生活したドイツの女性の話が載っている。しかも凄いのはこの女性、ホームレスのような惨めな生活をしているのではなく、こざっぱりとした格好でごく普通の生活を送っているのである。元は交換サークルのアイディアから始まった生活は、交換する範囲を次々と拡大し、とうとう貨幣を介さないやりとりや、ちょっとしたサービス(長期旅行の留守番をする代わりに住ませてもらうなど)を提供する事でほぼ全ての生活をお金とは無縁のものにしてしまったのである。
そう言えば「TOKYO 0円ハウス0円生活」と言う本で、一見ホームレスのように見える人の中にも太陽電池で発電し、無料でさまざまなものをもらって来る事で、実は普通に働いている人達と大差ない暮らしをしている人の話が載っていた。
案外、こうした貨幣の外側にある暮らしでも上手くやっていけるのかも知れない。広告業界や小売業界にとっては蛇蝎のように嫌われるだろうが、本当はこちらの方がまっとうで人間らしい「正しい」生き方なのかも知れないのだ。ただこうした生活は今の消費経済生活とは共存出来ないだろう。だとすれば、今の社会で生きにくい人達がこうした生活で経済圏の外側で生きている仕組みを作るべきなのではないだろうか。
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