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April 30, 2011

成功する人達に対して思う事

 勝ち組と言うほどではないが、世間的にはある程度成功して裕福な人と話す機会があるのだが何故か彼らに対して苛つく事があるのだろうと思っていた。彼の多くは皆いい人が多く色々と勉強していて知識も豊富で努力家で人としては素晴らしい人が多い分なおさらそれが不思議だった。
 最近ようやく判ったのだが、それは一言で言えば彼らの根本的な価値観や生き方と自分とのそれが一致しない事にあるかららしい。もちろん意見の合わない人は別に勝ち組に限らずどんなジャンルでも存在する。なのに特に彼らに苛つくのかと考えてみると、彼らの価値観の殆どが世間で正しいもしくは主流派のものだからだろう。乱暴な言い方をすれば彼らはとてもミーハーだ。さしたる疑問も無くその時に流行っているものを好きだと言い、正しいと言われている事に賛同する。それが自分の様にマイナーなものを好み、世間で言われている事に疑問を挟みたがる人間にとってはどうにも軽薄で長いものに巻かれているような感じを抱いてしまうのだ。しかも世間的に見れば彼らの言う事の方がどう見ても正しいし得なのだ。それがますますルサンチマンを募らせる原因になるのだろう。
 とは言え根本的な好き嫌いは、どうあっても変えようがないのが自分にとっての実情だ。例え周りの人が全て賛同しようとも自分が気に入らなければそれは自分にとっては受け入れがたいものなのだ。
 思うに成功する人に必要なのは正しさや好き嫌いの基準を自分の外に置けるか否かにあるのかも知れない。そう言えば竹熊健太郎×赤松健の対談の中で赤松健が「楽しみ代」と言う概念を語っていたのを思い出した。漫画家などが自分が描いてて楽しいと、自分が楽しみ代を払ってることになるから儲からず、編集者や読者を楽しませようと思って描くと楽しみ代が自分に入ってくるので始めて儲かると言うものだ。この手の人達は基本的な価値観の中心は自分ではなく他人の中にあるのだろう。確かに彼らは成功しているし基本的には世の中のためになる人達かも知れない。だがこうした人達に対してはどうしても「みんなの為に犠牲になれ」と言いそうでどうしても信用する事が出来ないのだ。おそらく根本的な所で自分は決して彼らのようにはなれないのだろう。
 大きなブレークスルーは自分の信念だけを頼りに荒野を切り開いた人達が成し遂げた。こうした人達は決して報われなかったのかも知れないが、それでも当人は満足だったに違いない。人のためにものを成せない自分にとっては後者の様な道を目指すしかないのだろう。

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