かつて日本がガス室の代わりにしたもの
最近メディアを賑わしている生活保護の話題を見てると、日本は困っている他人を助けるゆとりを金銭的にも精神的にも無くしていると痛感する。そしてもっとゆとりを無くしていた戦時中の事が事例として気になるのだ。
はたして当時はどうだったのだろう。ナチスドイツでは障害者など社会的に無用だとされた人々はユダヤ人などと一緒に強制収容所へと送られたのはよく知られているが、日本ではどうだったのだろうか。
実は日本ではこうした露骨な弾圧は行われたなかったものの緩慢な抹殺政策が取られていた。障害者施設に対する配給は最も後回しにされ、終戦時には多くの施設で大量の餓死者を出すことになった。またいざ本土決戦になればこれを使って障害児を処分するようにと、毒薬が支給されていたという(*)
こうした直接的な弾圧はしないもののいわゆるネグレクトすることで子供や高齢者・病人などに対して、必要な世話や配慮およびその義務を怠り、結果的に死に至らしめる政策は実は今でも根強く残っている気がしてならない。特に人々が関心を持たない分野、例えば退去強制手続の対象となった外国人を収容する入国者収容所では過去何度も死亡事故や劣悪な環境が指摘されているにも関わらず、一向に改善されないどころかその問題を指摘するニュースさえほとんど報道されないのが実情だ。
今回のお笑い芸人の生活保護受給問題から始まった生活保護騒動も何故か話は迷走して、受給額の削減や親族の保養義務強化や受給者の資産調査など変な方向にばかり向かっているが、騒動が終わって人々が関心を無くした時にきっと本当の見えない弾圧(それを必要としている人々へのネグレクト)が始まるのだろう。
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