他人の行動に口を挟みたがる人達
夫婦別姓の反対論でよく判らないのは、別に強制される訳でなく別姓にしたい人がするだけなのに何故反対する人達がいるのだろう。
冒頭にかいたように世の中では各自が自分の責任で行うだけの事にまで口を挟みたがる人達がいる。これまでどうして人の事にそこまで口を出すのか理解できなかったのだが、最近ようやくわかって来た。
こうした議論で良く言われるのは「自分たちも税金を出しているので当事者だ」というものだ。しかし、冒頭の夫婦別姓の様に税金と直接関係ない人の事でも反対する人は多くいる。
これを解く手がかりは「プレゼント」にあるのかもしれない。突然話が飛躍したように聞こえるかも知れないが、つまりはこう言うことだ。例えばあなたが女性だとして成人式で親から何かプレゼントが貰えるとする。そこで「成人式の振袖要らないからその分で海外旅行行かせて」と言ったとしても親の本心はプレゼントという名目で娘に晴れ着を着させたいので、そのリクエストは却下される。親は自分のあげたい物だからスポンサーになってくれるのだ。
このようにプレゼントという行為を通して、自分が善人の立場で他人を思うとおりに動かしたいと言うケースは実は多いのでは無いだろうか。
またもう一つの手がかりは、所謂「偉い人」がやたら「教育」にこだわるケースだ。ワタミの会長もそうだが、本業では批判を多く受けている人間が何故か「若者を導く」などと称して教育に力を注ぐケースは数多い。もしかしたら彼らは本心から善意で若者の為を思ってそうしているのかも知れないが、たいていそうした人物に限って自分の運営する団体では徹底的な管理や厳格な成果主義による階層分けが行われているケースが多いのだ。
恐らく彼らの言う教育とは管理や競争と不可分のものなのだろう。教育の中には様々な要素が含まれるが、その中で彼らが重視しているのは管理と競争と言う訳だ。
こうしてみるとこれも自分が善人の立場で人を思うとおりにコントロールしたいと言うケースに当てはまる。
何のことはない、結局のところ多くの人は他人の行動に口を出したくてたまらないのだろう。普段は他人の行動に口を出せないから、金銭的に自分が出資者に立てる税金の使い道や、こうした人の行動に影響を与えられる法律のあり方を通して他人をコントロールしたがるのだろう。
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