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December 24, 2012

リベラルの敗北論あるいは今求められる弱者保護とは

 この前の衆議院議員総選挙では保守的な要綱を掲げる自由民主党、日本維新の会そして新自由主義的なみんなの党も含めると、480議席のうち約3/4の366議席を占める結果になった。これを受けてリベラル(注)の敗北と言う意見、そしてその分析を目にするがちょっと議論や分析がずれているような感じがした。
 そこで色々と思うことを書こうと思ったのだが、選挙からある程度時間がたったお陰もあって、調べてみるともう自分が言いたい事や思ったことはあらかた誰かが書いていた。特に印象深いのは以下のサイトだろう。

緑の五月通信:「嫌中・嫌韓」の友人と呑んで-彼は何に突き動かされているのか

 そんな訳でこれに便乗する形になるが、かつて万人にアピールできると思われていた弱者保護や自由の尊重・平和などといった概念がどうして魅力を失ったのかについてちょっと書いてみたい。
 端的に言ってしまえばこれらのキャッチフレーズはもう信用されなくなったのだろう。特に徐々に手取りが減り生活も苦しくなり、更には失業している人にとっては、困っている自分たちに対して何とかして欲しいと言うのが本音だろう。そしてさんざん流布されているようにこれから日本の経済成長が見込めず、少子化と高年齢化が進むのであれば、社会保障は減ることはあっても増えるとは思えない。それならばこれらの受給資格を厳正にしてフリーライダーを減らし少しでも自分の取り分を増やさなくてはならないと考えるのは合理的だ。
 そして同じ理由で多少の困難があっても経済成長政策を進めるしか無いと思うはずだ。自分のパイを増やすには他人の分を減らすか、全体のパイを大きくするしか無いからだ。
 そんな訳で、もし弱者保護をこうした人々にアピールするとしたら、正しい選択による弱者保護を掲げるしか無いだろう。そして同じ理由で具体的な効果のある経済成長と平和(安心感)を提供する必要がある訳だ。


ただし、これは一歩間違うとかつての国家社会主義に繋がる危険性を孕んでいる。ナチスの政策は身体障害者などに対しては切り捨てる一方、国民の多くの層に対しては福祉の充実を謳ったものだった。そして経済政策に関しても短期的は大幅に改善された。結局はどうなったかは歴史の通りだが、当時は確かに正しく有効な政策だと思われていた。


(注)前提としてリベラルや右翼・左翼といった定義が各自バラバラで単なるレッテル貼りになっていると言う問題があるが、ここでは簡単に福祉国家的な政策、市場の保護管理、理想主義的な政策、個々人の自由の擁護、平和共存政策などを掲げる側をリベラル。既存の価値・制度・信条の尊守、愛国主義、個人が果たすべき責任の重視を掲げる側を保守としておこう。(個人的にはこうした単純な分類はあまり意味を持たないと思っているが)

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