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October 12, 2014

正しい」教育とは何か

 ネットでマララさんがノーベル平和賞を受賞した件について、タリバン側が声明を出していると言う記事を見た。それ自体は特筆すべき事では無いが、その中にあった「我々は女性に対する教育に反対しているのではない。『正しい』教育がなされていない事に反対しているのだ」と言うフレーズが気になっている。
と言うのはタリバンに限らず「正しい」教育を求めるというフレーズはあらゆる勢力、それこそ反体制側のみならず政府や国でさえよく使うフレーズだからだ。
 だが「正しい」教育とは何だろうか。確かに数学や科学などでは何が正しくて何が間違っているのか解りやすい。しかしその科学でさえ最先端の分野のみならず少し前には定説とされていた説でさえ後に覆された事も少なくない。ましてや歴史や社会分野では少し前には正しいとされていた事が、後に断罪される事すらあるのだ。
 では「正しい」教育の内容のコンセンサスをどう取っていけば良いのだろう。多くの学問の分野では学術的に正しい内容を検証する仕組みがあるので、それを使えば良いように思えるがそれが機能しないものもある。特に道徳や社会のあり方については一見共通の見解があるようで、実は各自のイデオロギーなどで多くの相違が存在する。また内容については問題ない分野についても、今度は何を教えるかと言う優先順位の問題も発生する。どんな分野でもそうだが全てを教えることは不可能だからだ。
 とは言えそれらを全て個人に任せて、各自が好きなように教え、好きなことを選択できることが良いかと言えば、そうはいかない事ぐらいは誰だって判るだろう。たとえ望まなくても最低限の共通知識と常識を各自が持ってくれないと社会がバラバラになってしまう。
 また経済効率や有益性で教育内容を選択すると言うのも結構危険な考えだ。少し前に300人以上の死者を出した韓国のフェリー転覆事故では、様々な悪因が重なったのもあるが、その一つに水泳教育が韓国では無かった事もあげられている。つまり受験や就職に役立つカリキュラム以外の体育や美術などの優先順位が低くなった結果、水泳などが教えられてなかったらしいのだ。これは極端な例だが、所謂「役に立つ教育」を追求していくと多くの場合、より上のクラスとされている学校や会社に入る事が目標になりやすい。しかし全ての人が良い学校や会社に入れる訳ではないし、仮に入っても幸せになれるとは限らない。
 だがこれも先程の話と同じように、好きなことを自由に選択できれば良いかと言うとそれも難しい問題だ。学ぶ内容を自由に選択した所で結局は脱落者は出てしまう以上、彼らに対して「自己責任」を問うのは結構残酷な話だからだ。
 長々書いて結論らしい話にならなかったが、結局は生涯勉強し行き詰まったら再びコース変更して学び直し続けると言う地道で困難な方法しか無いのかもしれない。

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