13 posts categorized "文化・芸術"

April 07, 2012

ロシアのAmazonことOZONから「ソ連邦建設」を買う

Ussr_in_construction1

Ussr_in_construction2

Ussr_in_construction3

Ussr_in_construction4

Ussr_in_construction5

Ussr_in_construction6

 ソ連邦建設と言う雑誌を知っているだろうか。かつてソ連時代、1930年から1941年まで月刊で刊行されていたソ連のプロパガンダ雑誌である。
 プロパガンダ雑誌ではあるが、今日でも有名なロシア・アヴァンギャルドを担う多くのデザイナーやカメラマンが参加し、当時の日本の多くのデザイナーにも影響を与えた雑誌でいま見てもそのグラフィックは格好良い。とは言え古い本でもあるので現本は極めて希少で本物を見ることは難しく、たまにあってもとんでもない値段が付いていたものだ。
 しかしたまたま調べてみると何と最近ロシアでこれをまとめた美術本として復刻されているという。もちろんその場で注文したのは言うまでもないだろう。

 注文したのはロシアのAmazonと呼ばれるオンライン書店"OZON"だが、ここは以前にも注文したので安心して注文できる。
 今回は書籍代1798lb+送料1399lbで日本円にして約8800円程かかったが、A4版フルカラー400ページの本をモスクワから買ったと考えれば決して高い金額では無いだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 15, 2010

ロゴデザインの話

 大学の専攻は建築・インテリアだったくせにグラフィックデザインにはずっと興味があった。その中でもタイポグラフィやロゴデザインは特に魅力的だった。前にも書いたが外国のポスターや当時はまだ輝いていた広告デザインが自分にとってとても魅力的で、そのせいもあるのかも知れない。
 そのせいだろうか実際にデザインを仕事にするようになってずいぶん長いこと経つが、最近はロゴデザインの仕事が増えている。とはいえどんな仕事もそうだがやってみると思った以上に苦労も多い。予算や権利などでフォントが自由に使えない。手間がかかる割にギャラが安いことが多い。そして依頼仕事だから当然の話ではあるが、最初からきっちり枠組みが決まっている事である。特にその業種・業界特有の暗黙のルールや傾向の様なものがあり、何故か同じような傾向になっているのでその中でデザインすることになるのからだ。

 とはいえそれは大変なことであるが、逆に考えてみると面白い。昔、ポカリスエットのデザインで青を使った所、これまでそれがタブーになっていたと言うのはまだ食べ物に青いものが合いそうもないと言う事から判らないでもないが、たまにどうしてこうなったという変な縛りがあったりするのだ。自分がその中でデザインするのは大変だが、その外からこれらの由来を調べたら案外面白いことが見つかるのではないかと思っている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 19, 2010

庭園美術館のロトチェンコ展を見に行く

Tokyo_teien_art_nussum_sign

 ぎりぎりで展覧会会期中に仕事が終わったので、東京都庭園美術館でやっていたアレクサンドル・ロトチェンコ展に行ってきた。(正確には「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし」)
展覧会自体は主に平面作品それもスケッチが多いのでボリュームの割には物足りない感じもするものの、ポスターなどに書かれている文章の訳が載っているは収穫だった。
 それにしてもミュージアムショップのオリジナルグッツがここ限定だったり、わざわざロシア語の本から果てはノートなどの文房具まで売ってるのは商売熱心だと感心してしまった。しかし、ミュージアムショップのオリジナルグッズ(Tシャツやマグカップやポストカード)などはともかく、いくら展覧会に関連した内容とはいえ、ロシア語の本など買う人がいるのだろうか。
(ロシア語が出来る人は、わざわざここで買わなくてもネット経由で直接ロシアから買った方が安い事を知っている為)

 それにしても何度行っても庭園美術館と言う場所は悪くない。展覧会を見終わっても庭園を散策すると言う楽しみがあるからだ。残念ながら今回は暑いさなかではあったが、それでも緑が多いせいか日陰だと結構しのぎやすい感じがする。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 21, 2008

Bunkamuraのロシア・アバンギャルド展に行ってきた

Mainvisual

 渋谷Bunkamuraで行われている「青春のロシア・アバンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」を見に行ってきた。今回はタイトルにもあるように絵画が中心というか絵画しか無かったので、他のジャンル(建築や舞台美術、ポスター)などを期待するとちょっとがっかりするかもしれない。まあ、ロシア・アバンギャルドは多くのジャンルにまたがる幅広い運動だったので全てを取り上げるわけにも行かないし、これは仕方がないだろう。
 絵画と言うジャンルに限って言えば、その前後の作品も含めて結構見応えのある展示だった。ただ、その解釈や背景に関しては(別途有償の音声ガイドではやっていたかもしれないが)最小限の説明しか無いので、そうした事に興味がある人はあらかじめ予習していった方がいいだろう。
 あとミュージアムグッズが妙に充実していて面白かった。定番の作品集はもとより、どうやらモスクワ市近代美術館から持ってきたらしいグッズから、果てはロシアと言う共通項だけで琥珀製品(ロシア名産なのだ)やグルジアワインまで売っているのである。また、本に関しても美術書以外にもロシア文化や旅行記までも置いてあり、おかげで美術館に寄ったはずなのに何故か美術とは直接関係ないお土産を買い込む事になってしまった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 09, 2007

ロシア・アバンギャルドについて再び

 以前、Web上にロシア・アバンギャルドに関する情報が少ないと言う話しを書いたが、あれから多少は改善されたのかWikipediaのページも増えてきたようだ。どうやらロシア・アバンギャルドではなくロシア構成主義の項目の方に充実が計られたらしく、そこから多くの作家が参照できる。
 ただロシア構成主義というのはどうだろうか? 実はこの運動の名称に関しては今でも論争が続いている項目なのだ。と言うのも意外に知られていないことであるが、当時ソビエト内ではアバンギャルドと言う呼び名は使われておらず、ロシアアバンギャルドと言う呼び名は後世の人がつけた名称だったという事情もある。当時は未来主義・スプレマティズム・構成主義などを掲げた細かなグループが各自で活動していて、それらをひっくるめて今の私たちがアバンギャルドと呼んでいたのだ。
 まあ、気になることがあればまずは自分で書いてみろというのがWikipediaの方針でもあるので、久しぶりに休眠中のアカウントを引っ張り出して、いくつかの項目を追加してみた。それにしても見たところ、まだまだ書かれていない事は多そうである。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

October 24, 2006

何故かネットに情報のないロシア・アバンギャルドについて

 「ぐぐる」、「Google脳」などと言う言葉が出てくるほど今や、インターネットで検索するのはごく普通の事になった。若い人の中には必要な情報は全てネットで手にはいるとさえ思っているかもしれない。しかしキーワードによっては未だに全然情報が無い項目がネットにはいっぱいある。私などはそうしたマイナーな事を好む質もあって、そのおかげでいつも捜し物には困っている。しょうがないので自分で調べるわけだが、するとそれがGoogleに引っかかって検索上位に上がるのだが、これは素直に喜ぶべき事なのだろうか。
 さてずっと前からこうしたネットの検索で引っかからないテーマで一つ気になっていることがある。それが二十世紀初頭のロシアで起こった「ロシア・アバンギャルド」と言う芸術運動である。ロシアアバンギャルドと言うとロトチェンコやステンベルク兄弟などのポスターが有名だが、実はこれは文学・演劇・建築などあらゆるジャンルの芸術を巻き込んだ社会改革すら夢想した運動であったのだ。この時代の芸術作品のファンは多く、日本の著名なデザイナーでもタナカノリユキ氏や木村恒久氏などは作品にも影響を感じられるし、mixiの中にもコミュニティは存在する。
 だがその割にはどこにも情報が無いのである。試しに検索してみると分かるのだがWikipediaは書きかけだし、そのほかは書評や大学のサマリーが殆どだ。しょうがないので自分でいつかはオンラインにちゃんとまとまった情報でも上げてやろうと思っているのだが、忙しさにかまけて未だに書きかけの文章の断片がハードディスクの片隅に眠っている状態である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 31, 2006

カンボジアのお守り

Youn

 カンボジアにJICAで行かれていた方からもらったYoun(ジョアン?)と言うお守り。布を切ってシルク印刷し、お寺で祈祷したものをお守りとして配るのが正式なものだそうだが、これは祈祷してもらっていないので安心して(?)単なるインテリアとして活用できる。ちなみに後からネットで調べた所によると正式なものは赤もしくは白の木綿に刷るものらしいが、これはシルクに刷った特注品である。書かれている文字と模様は効能によって異なるが30種類ほどあるそうだ。なお、書かれている文字はカンボジアの公用語であるクメール語ではなく、パーリ語で書かれているため現地の人でも一般の人は読めないらしい。

参考Link:カンボジアのお守り「ジョアン」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 28, 2006

村上隆、著作権侵害訴訟で4000万円をGet

 村上隆氏が株式会社ナルミヤインターナショナルを相手取って著作権侵害訴訟を起こし、4000万円もの和解金を手に入れたようだ。

現代美術家でルイ・ヴィトンのデザインなどで知られる村上隆さん(44)が、自らのデザインと類似したキャラクターを勝手に使用され著作権を侵害されたとして、大手子供服メーカーの「ナルミヤ・インターナショナル」(東京都港区)に損害賠償などを求めた訴訟は24日、東京地裁で和解が成立した。ナルミヤ側が遺憾の意を表し、数千万円の和解金を支払う。
 村上さんは92年、ネズミをモデルにした「DOB(ドブ)君」を発表し、のちに代表的なキャラクターとなったが、04年7月、ナルミヤ側のキャラクター「マウスくん」4種類が似ているとして、使用差し止めや賠償を求めて提訴。東京地裁は4種のうち現在使われている1種類を除いて類似性を認め、和解を勧告した。(毎日新聞)

 しかし、彼のネタじたいほとんどのものがアニメや漫画を元にしているのだが、自分はこうした所を元にしておいて他人が自分のものを使うのは駄目らしい。芸術家が他のマンガ家やアニメーターたちが「一つひとつコンセプトを考え抜き、心血を注いで造形した」「子供の様に愛し育てて来た作品達」をパクったりおちょくったりしてがっぽりお金儲けするのはOKで、企業がオリジナルアートをパクったりおちょくったりしてお金儲けすることは絶対許さないというわけか。
 しかも彼の談話がふるっている。

これらのキャラクターは、キャラクターであると共にアート作品です。日本ではアートの社会的評価や理解度は低いままです。功利主義で、文化発展への尊敬の念乏しき,文化の民意が著しく低い国。それが日本です。
しかし,こうした現状に甘んじるのではなく、オリジナルアートの価値を社会に認識してもらうことが重要です。

盗人猛々しいとはまさにこのような人物にふさわしい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 28, 2005

男は家を出て行った

  男は家を出ていった
  棍棒片手に 袋をもって
  遠い旅路へ
  遠い旅路へ
  歩いて出かけていった

  ずっとまっすぐ進んでいった
  ずっと前を向いていた
  眠らず 飲まず
  飲まず 眠らず
  眠らず 飲まず 食べもしないで

  そしてある日 明け方に
  暗い森へ入っていった
  その時以来
  その時以来
  以来 姿を消してしまった

  でももしあなたが
  男をたまたまみかけたら
  そのときはすぐに
  そのときはすぐに
  すぐに わたしたちに教えてほしい


ロシアの詩人ダニエル・ハルムスの誌。
1937年にこの誌を発表したハルムスは、1941年に突然逮捕され収容所で亡くなった。まるでこのなかの男のようにある日突然消えてしまったのである。

 再び、ハルムスのことを書こうと思ったのは、こうした悲劇の運命の人たちに惹かれるのと、偶然この訳を付け今NHKラジオ講座で講師をやっている鴻野わか菜さんのページをたまたま見つけたからである。
それにしてもこの誌がこんなに気になるのは何故なのだろう。自分自身がこうした報われることの少ないひたむきさに憧れているからなのだろうか? あるいは物事がうまくいかないときに単に自分自身を投影して陶酔しているだけなのだろうか?
 そういえば以前、性格診断テストか占いかなにで「あなたは何かをするに当たって大義名分が必要なタイプです。それがあれば身を粉にして社会に貢献するような大きな仕事をしますが、それがなければ何かをしたいと言う要求だけに振り回されて社会の破壊者になることが多いでしょう。」と言われたことを思い出した。
さて自分はどこに真っ直ぐ向かって行くのだろうか?

| | Comments (2) | TrackBack (1)

December 12, 2005

ハルムスとその仲間達

 今年のNHKラジオロシア語講座応用編では「ロシア絵本とファンタジー」というテーマで、1920年代から30年代くらいに書かれた絵本を取り上げている。この時代はちょうどロシアアヴァンギャルドが花開いた時代で、グラフィック・文学・演劇・建築などあらゆるジャンルの芸術で数々の先鋭的かつすばらしい作品が発表された。そしてそれは絵本でも同じだった。サムイル・マルシャーク、コルネイ・チュコフスキー、ニコライ・ソーノフなどの今でもロシアで出版され続けている多くの作家が絵本を手がけた。
 今月取り上げられていた、ダニイル・ハルムスもその一人である。ハルムスは1905年生まれの作家、詩人で多くのペンネームを使い分けながら、文学・美術・演劇などのジャンルで新しい芸術運動の展開を求めて、アレクサンドル・ヴヴェゼェンスキー、ニコライ・ザボロツキー、ウラミジール・タトリンなどと共に活動していた。不条理な誌や小説の他、子供向けの作品なども数多く手がけている。

 私がハルムスの話が気になったのは彼の作品というよりは、タトリンと一緒に活動しているという点と、悲劇的な彼の人生に因るところが多い。tatlin
彼の作品の挿絵を多く描いたタトリンは第三インターナショナル記念塔(写真)が圧倒的に有名だが、不思議と建築周りで彼の作品を見ることがないのは、主にこうした絵本・演劇などの分野で建築家以外の作家達とコラボレーションしていた為である。タトリンの作品が好きだった私は当初、どうして建築分野で彼の資料がほとんど無いのか不思議だったのだが、実はこうした理由だったのだ。そのタトリン周りでハルムスの事も知ったのだが、ハルムスの作品は読んでいて面白いというよりは不条理な気持ちにさせるものが多い。例えば、ラジオ講座でも取り上げられた「交響曲第2番」はそもそも内容と何の関係も無い題名だし、ストーリーも曰くありげな人物が集まったかと重うと、何の説明も無く話が終わってしまったり、全く関係の無い話が始まったりする。
 だが後で彼の運命を知り、しかもこの話が書かれた時期(1941年)を知るとそれが、彼とその仲間達の運命を暗示しているようで気になるのである。
 ハルムスは文化の統制が始まると単に作品の内容が不条理だという理由だけで逮捕され、1942年にはノヴォシビルスクの収容所内の病院で無くなった。彼の仲間の多くも逮捕され、タトリンのように何とか逮捕は免れた人間もやがてはだれからもまともに相手をされない孤独な生活を余儀なくされ、ひっそりと忘れ去られたように世を
去っていくのだった。
 ユニークなメンバーが集まって何かをしようとしたとたんに終わってしまうストーリー。何の説明もないまま打ち切られたり、変更されるストーリーは、あるいはこうした運命を予感したものだったのかも知れない。

| | Comments (0) | TrackBack (1)