4 posts categorized "映画"

December 05, 2010

日本で上映して欲しい気になる映画

 ネットで話題になった外国映画の中には凄く面白そうなのに、何で日本で上映されれないのだろうと思うものも少なくない。
 例えば一番上の映画“Sucker Punch(サッカー・パンチ)”は1950年代。精神病院に入れられ、5日後にロボトミーを受けることになったベイビードール(エミリー・ブラウニング)が、同じ精神病患者の仲間とともにファンタジーの世界へと飛び込み、人格破壊の危機を回避するための5つのアイテムを集めるというストーリーだがとセーラー服の少女+機関銃+日本刀+ドラゴン+B-52爆撃機+売春宿といった要素が盛り込まれた「マシンガンを持った『不思議の国のアリス』」と言うコンセプトで日本の漫画・アニメの影響を濃厚に受けていて実に面白そうだ。この映画、日本未公開ながら相当好きな人がいるらしく既にWikipediaにも日本語のページが出来ている。
 それにしても何で公開されないのだろう。


 そしてもう一本は「ムトゥ 踊るマハラジャ」のスーパースター、ラジーニ・カーントによる「Endhiran (THE ROBOT)」。ぐだぐだした説明よりも見てもらうのが一番だが、インド版マトリクスと言う怪作に仕上がっている(ほめ言葉)。しかし「踊るマハラジャ」が上映されたのだから、こちらも上映されても良さそうな気がするのだがなあ。


Wickie und die starken Männer - Trailer
(You Tubeが画像埋め込みを許可してないのでリンクを紹介)

 そして最後が日本のアニメ「小さなバイキングビッケ」を元に2009年にドイツで実写映画化された“Wickie und die starken Männer”。もともとこの話はスエーデンの児童文学が元なのだが、1974年に日本でアニメ化された作品は原作の場所柄もあってヨーロッパでも放送され人気を集めていたのだが、何故か特にドイツでは大人気でとうとう実写映画化されてしまったのだ。
アニメの実写化と言うと大抵は失敗作になりがちだが、ご覧の通り原作そっくりの仕上がりで(余りにそっくりで笑ってしまう)ドイツでは記録的な大ヒットになったと言う。

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August 15, 2008

「崖の上のポニョ」を見てきた

 最近、映画をあまり見ないのだが珍しく時間が出来たのと私の周りの友人も含めて絶賛する声が相次いでいるのにつられて、仕事帰りにレイトショーで「崖の上のポニョ」を見てきた。最近、映画を見るときにはもっぱら近所の映画館でレイトショーで見るのが定番になっている。何より安いし混んでないのがありがたい。まあ、あまりに変なタイトルだと上映している館が都内数カ所しか無いのでこの手は使えないのであるが…。
 前置きが長くなった。そもそも今回見ようと思ったのは竹熊健太郎氏の映画評を読んだからだ。私の感想もこれに近いが、これを読めばひねくれ者の私でも見たくなるからたいしたものだ。また結構辛口な批評をする友人達も皆絶賛しているのも気になっていたのだ。(余談だが竹熊氏のポニョの批評は連作になっていて、その他の話1,2,3も面白い。興味がある方は他の批評も読んでみることをお勧めする。)
 で感想だが既にあらゆるところでいろんな事が語り尽くされてしまったので、いまさら自分の言葉で語るのは難しい。強いて言えば「考えるな。感じるんだ。」と言ったところだろうか。竹熊氏が書いたようにこの映画、素直に見れば面白い感動的なハッピーエンドの話なのに、細かいプロットやつじつまを考えれば考えるほど「?」と言う疑問が頭に浮かんで離れなくなるからだ。私などはひねくれているのでむしろ「どんなアバンギャルドな実験映画なのだろう」と期待しすぎて、むしろ普通に感動したのに逆に驚いた位だが、細かいつっこみを入れたくなる人だと確かに気になるところは多いだろう。しかし宮崎マジックと言うべきすばらしい映像が全ての疑問を押し流しぐいぐい映像に引き込むところはすばらしい。これとは傾向は違うものの以前見た「スペースカーボーイ」もストーリーのつじつまが合わない所をクリント・イーストウッドの有無を言わせぬ演技力で納得させられたのを思い出してしまった。
 ただ唯一物足りなかったのは、ロシアン・エンディングに毒されたせいだろうか。こうした子供向けの話でさえダークな複線やもの悲しい感しを求めてしまうのは、もう映画の好みがロシア人化してしまったからなのかも知れない。

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December 23, 2006

世界の反対側にある地獄

 大分昔、まだBlogを始める前に自分のWebでグローバリズム(あとから思えばネオリベラリズムの方が適切だった)を揶揄する小話を書いたことがある。どうせ誰も見てないと思うので採録すると以下のような話である。

 そこは昔は魚が豊富に捕れる湖があって、そばにある村も十分に潤っていました。しかしあるとき外国から来た資本家がもっと豊かになるためにエンジン付きの船と網を使った漁法を勧めました。漁師はその話に乗ってみることにしました。すると確かにたくさんの魚が捕れたちまち豊かになりました。しかし、漁師がたくさん魚を捕った分だけ他の漁師は魚が捕れなくなりました。
やむなく他の漁師も船と網を買い、対抗して魚を取り始めました。
すると対抗上、もっと魚を捕るためにはさらにたくさんの船を買わなければなりません。その軍資金を得るためにも、また食べるにも売るにも多すぎるくらい捕った魚を高く売るために、資本家の薦めに従って今度は新たに魚の加工場を始めることにしました。
周りの漁師もさらに対抗するために加工場をつくりました。
こうして競うように魚を捕り合ううちに、たくさん捕れていた魚はだんだんと乱獲がたたってとれなくなってきました。漁師たちはさらに船を増やして魚を捕ることにしました。
魚はさらに数を減らしていきました。さらに悪いことに魚の加工場からの排水で魚に限らず湖の生き物はどんどん数を減らしていきました。
漁師たちが気がついたときには既に手遅れでした。彼らに残されたものは捕るべき魚のいない汚染された湖にあるたくさんの船と加工場、そして膨大な借金だけでした。

 今となってはどこでこの話を聞いたのかそれとも自分の創作だったのかすら覚えていないが、現実は常に想像の上をいくものらしく、これよりも遙かに悲惨で恐ろしい事が起きていた。それがタンザニア第二の都市ムワンザを舞台にしたドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」で書かれている出来事である。すこし長いが翻訳家・評論家の柳下毅一郎氏による評論が秀逸なのでそれを引用して紹介したい。

「世界の反対側にある地獄」
これは地上における地獄の記録である。タンザニア大使館は本作の公開にあたり、国のイメージを損なうものだと抗議したという。

それだけの恐怖が、この映画には含まれている。もっと恐ろしいのは、その地獄は我々が住んでいる場所とも地続きだということだ。

このドキュメンタリー映画の主役はとある魚である。ある一種類の魚が人々の生活をいかに変えてしまったが語られる。舞台はアフリカのタンザニア。アフリカ最大の湖ビクトリア湖は多様に種分化した魚類も豊富な「ダーウィンの箱庭」として知られていた。

だが、約五十年前に、何者かがナイルパーチという肉食魚を放った。体長2メートル近くまで成長するナイルパーチはたちまち湖の魚を食い尽くしてしまう。ビクトリア湖周辺にはナイルパーチの加工工場が立ち並び、白身魚ナイルパーチは世界中に輸出されタンザニアに財貨をもたらした。日本にも輸入され、一時期は「白スズキ」という名前でも流通していた。コンビニ弁当についてくる「白身魚フライ」として、あなたもナイルパーチを食べているかもしれない。

ナイルパーチによる繁栄の裏で、その富に無縁の人々は地獄のような暮らしを送っている。工場から出る魚のあらを食物に加工するため、アンモニアガスがたちこめる腐敗した生ゴミの山をかきわけ、裸足で 働く女たち。加工したナイルパーチを運ぶためヨーロッパ各国とのあいだを往復する飛行機目当てに空港にたむろする娼婦たちのあいだではエイズが蔓延している。ホームレス少年たちは空腹をまぎらわすために発泡スチロールを燃やしてガスを吸い、死んだように眠る。安月給のガードマンは隣国との戦争を待ちのぞんでいる。 「戦争になれば、軍隊に入っていい給料がもらえるのに……」と。

この映画に悪人はでてこない。この地獄はみながいい暮らしを求め、そのために努力した結果生まれてしまったものなのだ。そして、この地獄は決して他人事ではない。これは我々の日々を形作るグローバリズムについての映画である。グローバリズムとは、世界の反対側にある地獄と、我々の生活がひとつにつながることなのだ。
(柳下毅一郎。12/21朝日新聞夕刊芸能面より)

関連Link:愛・蔵太の少し調べて書く日記-ドキュメンタリーはノンフィクションなのかについて映画『ダーウィンの悪夢』で考える
映画に書かれている内容の真偽の検証。映画にしてもTVで放映されるドキュメンタリーにしても、単純な社会正義だけではメシが食えない実情がある以上、演出されている部分はどうしても出てくると言う指摘は鋭いと思う。

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July 29, 2005

ロシアンエンディングとハリウッドエンディング

 最初資料を当たって書こうかと思っていたのだが、さすがに元ネタを忘れそうなので防備録代わりに書いておくことにする。

 映画などのエンディングもお国柄を感じると思ったことはないだろうか。
その思いを強くしたのはテレビアニメやその映画化でお馴染みの「フランダースの犬」が、ハリウッドで実写映画化されそのストーリーを知ったときである。ネタばれ承知で原作のエンディングを書いてしまうが、子供心に主人公ネロと愛犬パトラッシュの死に当時はひどくショックと理不尽さを覚えたものだ。とはいえいくら子供心にショックでも原作を改ざんして「ネロもパトラッシュも死ななかった事」にしてしまうのはまずいだろう。しかも嫌らしいことに上映国に合わせてしっかりハッピーエンド版とバットエンド版の2つが用意されているらしい。さらに皮肉なことに(私は見てないものの)このハッピーエンド版、ちゃんとエンディングに向けてきちんと構成されていてそれはそれで良い映画になっているらしいのが困ったところである。
この何が何でもハッピーエンドと言うのはヤンキーのノリなのか、「フランダースの犬」のように対象年齢が低い話ならまだ分かるものの、「ディープブルー」(今やっているドキュメンタリー映画ではなく、人工的に知能を強化された鮫によるパニックホラーものの方)や「トゥルー・ライズ」のエンディングともなると、思わず「おいおいそれでハッピーエンドはないだろう」と思わずつっこみを入れたくなってしまうのは私だけではないだろう。特に「ディープブルー」では主人公のいた海洋研究所は建物ごと全滅、ヒロインは死亡と散々たる幕切れなのにも関わらず、生き残った主人公のナイスガイと人の良さそうな黒人のコック2人で足を海にひたしてばしゃばしゃやりながら「今回はなかなかハードな戦いだった(意訳)」とにこやかに談笑する下りにいたってはここまでやられてしまうと逆に妙な爽快感を共感してしまうぐらいである。
 逆にロシアの映画を見るとどうも連中は悲劇が好きなようで、記憶にある数少ないロシア映画でハッピーエンディングで終わった話を見たことがない。なにせあの「チェブラーシュカ」でさえストーリーはともかく挿入される曲はどれももの悲しいメロディのものばかりと言うお国柄の国である。一見コメディー風な演出の「鬼戦車T-34」は第2次世界大戦下、ナチス・ドイツの収容所に捕らえられていたソ連軍捕虜たちが、標的用に使われるはずのソ連T−34戦車を奪取して脱走し、敵陣を突破すると言うストーリーで、前半は右往左往するドイツ兵を奪った戦車で蹴散らしながら脱走すると言う爽快な話で「おっ、珍しくロシアで痛快な話が」と思っていると最後のエンディングで衝撃を受けると言う罠がまっている。案外救いのないストーリーで有名なゲーム「DRAG-ON DRAGOON」あたりを持って行くと売れるのではないだろうかと思うくらいである。

 そういいつつも私も結構アイデンティティはロシア人に近いものがあるのかも知れない。少々ひねくれているせいかもしれないが、ゲーム「フロントミッション」や「ダブルキャスト」でわざわざバットエンディングを見に行ったのは内緒の話である。

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